京アニ事件、死刑はエンタメじゃない

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こんにちは、蒼生です。

今日は異常なタイトルで書こうと思います。というのも、放火殺人によって死刑確定した青葉被告に対して、喜ぶ意見や人権を奪えとか、言葉にできないような言説があふれ、しかもオタク系のインフルエンサーたちがそれをあおってまるでその過激な意見に少なからぬ市民権や正当性があるかのような事を言っているので、これは異常だと思い書こうと思います。

日本は法治国家

大前提として日本は法治国家です。法治国家とは人間よりも理性(法律)が上にある形の国の事です。

理性は感情よりも多くの場合まともです。だからあらかじめ決められる事は(国会で)理性的に決めておいてそれに基づいてあとで判断行動する形で国は動いています。

(法律、つまり理性の精度が低いという場合は、国会議員のレベルをあげれば解決する話であり、まともな議員を送るためにも選挙にいけという話になるので、民主主義国家においてはだいたいの文句はブーメランになる)

ちなみに法治国家の逆は人治国家です。中学でみんな習っているので知っているはずです。しかも日本の周りには模範的な人治国家がいくつもあるので、理性(法)ではなく感情(人)で国をおさめるとどうなるかはよくわかるはずです。

金正恩総書記に嫌われたせいで、大砲の玉にされて死刑になった人もいました。人治国家ではルールは理性ではなく、権力側の「お気持ち」で作られ、運用されるのでこういう事が日常茶飯事になります。

青葉被告に言葉にならない罵詈雑言を加えている人達は、たぶんこの大前提の知識が欠落しているか健忘症になっているかのどちらかだと思います。彼らはすぐそばにある人治国家の有様を見るべきです。

日本は文明国になるためにかつて死に物狂いで努力した

すぐそばにある人治国家を見てまだ理解できないなら、かつての日本の歴史を思い出すべきです。

日本が江戸時代に不平等条約を結ばされて、明治時代に苦労してそれを改正した歴史は、みんな義務教育で習ったはずです。なぜ日本が不平等条約を結ばされたかというと、当時の日本(幕府)は国際法を知らず、拷問のような残虐な事を行っていて、近代的な体制にはなかったからです。当時世界は文明国と非文明国(野蛮国家)と無主の地(植民地対象)の三つにカテゴライズされていました。文明国の人々は野蛮国家と対等な条約を結んでしまっては自国民を保護できなくなる恐れがあったので、文明国とみなせない日本や清とは不平等条約を結びました。

この前提知識があれば、人権を守る事は文明と非文明を分ける重要な問題だという事は言わずもがなわかるはずです。

だから明治になって日本は必死になって国際法を学び、近代的な法体系を整え、様々な分野で努力して日本の地位向上に努力しました。そのおかげでやっと文明国として認められて不平等条約を破棄することができたのです。

つまり、青葉被告がとんでもない事をしたから人権をはく奪しろ!とか言う意見は日本のかつての歴史や苦労、そして日本の今の地位を忘れ、一時の「お気持ち」で、不平等条約を結ばされた時代にまで戻ろうとする非常に暗愚な意見だという事ができます。

そもそも司法は外野の影響をうけない、でも国民は国会議員を送り出せる…

ネット上で無責任な人達が、青葉被告への「言葉にできないお気持ち」を様々表明しても、司法には何の影響もありません。

それなのにそれを表明するなんて意味が分かりません。完全にムダです。でもそのムダな意見を表明する人が今回のように大量に現れると、その言説が市民権を得ているのではと勘違いしてしまう「非理性的国会議員」が出てくる危険があります。かつてナチスはそうやって作られましたから。(ナチスまで行かなくても、今の国会にだって非理性的な言説を主張する方はいらっしゃいます。その議員の背後にはやはり大勢の支持者がいます。)

そこまで極端な事にならなくても、一定の支持者を持っている人達がまともそうな事を言っていると、上記の歴史や現代社会の基礎的な知識を欠いた人達は、それが正しい意見だと勘違いしてしまいます。知識があればおかしいと思える事でも、知識がないとスポンジのように吸収してしまいます。そして理性が十分にないと、それが真理だと信じてしまいます。

そういう声が一定の力を持ち始める事が恐ろしいのです。

犯罪者から人権を奪えという「お気持ち」にそった場合

かつて朝鮮半島には絶対にGoogleで検索してはいけないほどグロテスクで惨い刑罰がたくさんありました。中国と朝鮮は儒教国家だったので、上位の者は下位の者を虫けらのように扱うことが普通でした。そのため、今では考えられないほど残虐な刑罰がたくさんありました。

単に死刑では物足りない、もっと苦しませてから殺すべきだ。ネット上で青葉被告に向けられる多くの「お気持ち」はこの類です。

これをまともに採用すると、かつての中国や朝鮮の刑罰のようになります。

りょうち刑って知ってますか。国を改革しようとして失敗した金玉均が処された刑罰です。検索しないでください。残酷です。

他にも生きたまま苦しみを与える刑罰がたくさんあって、日韓併合時に全部廃止になりました。

でも罪人への侮蔑と、嗜虐趣味をもった看守等によって、日本の警吏がやめるように言ってもこっそりやっていたという話があります。

青葉被告憎しでそういう前近代的な主張をされている方々は、これらの事を踏まえて自分の言説を振り返ってほしいと思います。

そもそも他人の人権を奪えという意見が出てくるのが自分にはよくわからないのです。

法治国家でちゃんと刑に処されるというのに、なぜそれ以上のものを求めるのか、自分には何の権限もないのに。

相手の苦しみによってしか自分の憤りは収まらない、納得できないという思考回路が私には理解不能です。

だからそういう過激な意見を主張される人達は、きっと青葉被告と紙一重なんだろうなと思います。

一歩間違えば、彼らは青葉被告のように罪を犯しかねない危うい思考回路の持ち主なんだろうな、という風に見えてしまいます。

でもだからこそ、彼らのためにも残虐な刑罰がなくて、法にのっとって裁かれる今のあり方は大切なのではないかと思います。

彼らは自分は罪人にはならないとたかをくくっているのかもしれませんが、ある立場の人の人権を認めないという判断をした場合、すべての人の人権が狭まります。これもナチスの例を思い出せばすぐにわかるはずです。

人類は多年にわたる努力と反省の結果、気に入らない奴は苦しんでから死ねとか、即日死刑にしろとかいうネット上にあふれる過激なお気持ちには屈せず、理性で動くように進化してきました。そのための様々な仕組みも作ってきました。

それをちゃぶ台返ししたい人はすぐそばに模範的人治国家があるので、そこに行って経験を積まれるのもよろしいかと思います。

死刑はエンタメじゃない

青葉被告の死刑を喜ぶ人達は、かつてギロチンを娯楽として楽しんでいた人達を彷彿とさせます。

悲しい事に人類はどんなに時間がたっても、社会が平和になっても、この残虐な嗜好をもった人達を完全になくすことはできないようです。

青葉被告の罪は青葉被告が償うのに、それを楽しんでエンタメ的に語る人達は、自分が何の罪を新たにつくっているのか考えないのでしょうか。

漫画やアニメが考えられないほど残虐になっていっているので、そのノリで死刑を楽しんでいる人達がいるのかと思ってしまいます。

私には生きる事も死ぬことも刑のように見えるので、青葉被告の刑に対して部外者が何か言うなんて、そもそもおかしいと思っています。

彼らは自分の命ではなく、他人の命で、一体何を望んでいるのか。不思議で仕方ありません。

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