一日目
戦跡:海軍司令部壕
神社:波上宮
県庁前の那覇市歴史博物館
二日目
世界遺産:斎場御嶽
自然・歴史:ガンガラーの谷
海
三日目
平和記念公園、歴史資料館
世界遺産:識名園
沖縄平和記念資料館
沖縄は街中を歩いているだけで、戦争の爪痕を見つけることができる特異な場所です。
1945年3月、沖縄県民45万よりも多い、55万人ものアメリカ軍が押し寄せてきます。これに対抗する日本軍は陸海空合わせても約10万。その三分の一が訓練もされていない現地の学徒兵等でした。
沖縄戦は6月に終結するまでに軍民合わせて20万人の犠牲者をだしました。(沖縄防衛のために戦った県外の人含む)
沖縄県に限っても12万人が犠牲となり、4人に1人が戦死したと言われています。
軍も戦争が始まる前は非戦闘員を県外に疎開させようとしたようです。しかし沖縄と鹿児島の間の海にはすでにアメリカの潜水艦がうようよしていて、子供たちを避難させるために出航した対馬丸等が攻撃されて海に沈んだりしています。そのため危険な海を渡るのを拒む人も多かったようです。
しかし沖縄は島なので、そうなると逃げ場がありません。陸軍等はすべての輸送車両を動員して民間人を北部に輸送して島内疎開をさせています。(沖縄戦は主に沖縄の真ん中から南側で戦われている。)それでも、戦争がはじまってからは、ただでさえ寡兵の日本軍は戦闘中に島民を省みることができず、共に大きな犠牲を出してしまったようです。
産業ポートフォリオの問題
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