デート代割り勘問題に見る若年層の心と財布の貧困化

sliced bread on brown wooden chopping board時事
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デート代割り勘問題

こんにちは、蒼生です。さっき不愉快なショート動画がおすすめされたのでこの記事を書きます。

内容は、女性をごはんに誘ったあとにデート代を割り勘にすると突然言って相手を怒らせるという動画企画です。

デートで割り勘とか、サイゼリヤとかありえないという女子 VS 女子も払えという心と財布が貧しい男子 論争が今ネット界隈にあるらしいのです。日本は若年層の貧困化が進んだ結果、恋愛市場でも「貧すれば鈍する」みたいな話が広がって、しかも多くの共感を集めてるんだなと感じました。

こんなことを企画ものとしてアップする動画制作者が一人ではなく沢山いるらしく、本当に品性下劣だなって思ってる自分がいます。

若者の可処分所得をあげる政策を打ち出して若者の貧困化を食い止める政治家に一票を投じなければならないと、こういう下品な話を見ると思います。

割り勘が当たり前っていうのは育った地域とか環境にもよると思います。

男性が払うのが当たり前という地域に住んでいた人だと、男性の側も自分が払わないと恥ずかしいとか気持ち悪いという気分になります。だから気持ちよく払わせてほしいと思っています。女性の側もそれが普通だと思ってたりするので笑顔でご馳走様といって相手を立てます。そこに悪気はありません。

逆に女性も払うべきという意見があるのも理解できます。これは価値観なので育った環境によって大きく違います

でもそういう事は先に話し合って、価値観のすり合わせをしておくべき問題で、後出しじゃんけんのように、あとから問題をだしてもめるべきではないと思うのです。そこに人間的な不誠実さと下品さを感じます。

最近そういうのが流行っているのか、割り勘にするという動画企画がいくつも制作されています。不愉快なのは全部あとだしじゃんけんで相手を貶めようとするところです。悪意の塊のような企画だと感じます。しかもそれに共感する人が多く高評価押されまくっているのか、自分のような人間にまでそういうショート動画がおすすめされて出てきます。私は割り勘を当たり前だと思っている側の女性よりも、相手を傷つけ不愉快にさせ、それによってPVを稼ごうとする動画制作者の方に人間的な下劣さを感じます。こんなに下劣な人が日本にも増えているのかとがっかりします。

もし対等な女性を探しているのなら、最初にそう言っておけばいいだけの話です。そうすれば条件に会った人が現れます。

払う側?払わない側?

自分の場合は、相手の顔を立てるとき以外は絶対に割り勘にします。嫌いな相手だと多めに出したり全額だしたりします。立てる必要がない相手だからそうします。食べ物ごときで借りをつくりたくないからです。そしてそれを最後に会わなくなることもあります。

だから最初に割り勘にしようといわずに後から言う相手は、心がさもしく不誠実な人だと感じます。貧すれば鈍する、食べ物ごときで腹を立てたりけちるような人とは健全な関係は築けないと思います。

逆に奢ってもらう時は申し訳なさを感じます。自分は奢ってもらうなら、サイゼリヤでもなんでもいいです。相手の厚意に甘える形になるので、奢ってもらったら普通にありがとうと感謝します。でもほとんどの場合は奢らせないので、そういう人はあまりいません。

(絶対に割り勘にしたい自分に対して、楽しい時間をありがとう、感謝しているからここは自分に払わせて。と言われたときはさすがに割り勘にできず奢ってもらった。こういうのがスマートな人なんだろうなと思った。)

価値観の違いは対立ではなく相互理解ですむ話

女性にごちそうしてあとから割り勘にするという悪意あるドッキリ企画動画を制作してPVを稼ぐ動画制作者はそうした下品なやり方でお金や注目を稼いでいるので仕方ないと思うのですが、これを見て割り勘が当たり前という一部の価値観に多くの人が染まって、そうではない人たちを非難して楽しむのは気持ち悪いなと思います。

男性側が払うのが当たり前な地域で育った女性や男性も多くいるのです。それは文化です。それを何故善悪二元論でしかも動画という形でさらしあげて悪意ある形で一刀両断するのか、自分にはわかりません。たとえば、ロシア人の当たり前と日本人の当たり前はかなり違います。それと同じ話です。日本は東西南北、かつては様々な藩があったので、似ているようで実は違う文化的な差がたくさんあります。それを何故お互いに理解しあおうという心の広さがないのか、やはり貧すれば鈍するなのか、と思ってしまいます。

若者の可処分所得をあげて、食事代ごときでもめている心と財布が貧しい若者の側に富が再分配されるような政治をしてほしいと思いました。

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