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こんにちは、蒼生です。
最近、人工知能の進歩がすさまじいです。ChatGPTはもちろん、画像生成等いろんな分野に人工知能が進出してきています。
マイクロソフトもオフィスソフトに人工知能を入れる案を発表し、テストしているようですが、それがもし市場にはなたれたら、Windows95発売の時と同じくらいのインパクトになりそうです。
今まで人を雇わなければならなかった業務が、人口知能によって消えてしまうかもしれません。電話交換手が消えたのと同じように、技術の進歩によって、それまで必要だと思われていたスキルの価値がなくなってしまい、それまで業務を行っていた人々は違う業務を行う事になるか、もしくは仕事を失います。アメリカのように解雇が簡単にできる国の場合は、不必要になった人員を削減するというわかりやすい形をとることができます。
でも日本は解雇規制が厳しいので、会社の業績が良い限りは、電話交換手的なポジションになった人々を切ることはできません。マイクロソフトはオフィスに入れる人工知能に副操縦士という名前をつけて、人工知能はあくまで人間の補佐ですよとアピールしていますが、副操縦士に的確な指示を出せるような人は一つまみしかいません。仮に全員が有能でもそんなに数はいりません。つまり大多数の人は仕事にあぶれます。その人達を守るために会社が無理をすることになります。するとこれほど変化が激しくなっている状況で力がある企業まで身動きがとれなくなります。
日本は社会保障的な役割を企業に求めすぎているので、その縛りをゆるめてあげないと、日本全体が沈没するのではないかと思います。
これからは本当に予測不可能な状態になっていくのではないかと思います。だからこそ国の役割と企業の役割と個人の役割という、それぞれの次元でそれぞれがどのようにふるまえばよいか、何が課題なのかをもっと突き詰めていく必要があると思います。
でも法律を変えるには、立法府です。国会議員は人工知能がもたらす衝撃について、どのくらい考えているんだろうかと不思議に思います。きっと勉強してると思うのですが、人口知能に否定的な意見を聞くと興味がなかったり感覚的にわからない人が多いんじゃないかとさえ思います。人工知能規制派は、津波が来ているのに家の中に閉じこもって身を守ろうとしている人たちです。彼らは家ごと流されます。そして日本の制度がそのように家の中にこもって身を守ろうとしている状態になっています。これをどうやって改善していけばいいのか、ぜひともビジョンを語ってほしいと思います。
これは人工知能についての一番表面的な私の関心です。↑
表題の「感情はプログラムできるのか」は私が小学生から中学生の時に書いていたSF小説の主題です。そのころは暇を持て余していたらしく、感情ってなんだろう、とか、ロボットは人間の気分に対してどう認識し対応するのか、とか忖度の仕方とか、そういう事をいろいろ考えて書いていた話です。いろいろな設定を考えて思考実験をして、まったく役に立たない事をまとめて、人がわかる形で物語に翻訳するというのが私の昔からの趣味のようです。この趣味はとても時間がかかるので、今はあまり思考実験に時間をさけずにいます。本当に残念です。
ちなみにこの物語の主人公は「感情プログラマー」という仕事をしています。その仕事を通して人を理解しようとしている人でした。今でも使える部分がかなりありますが、ほぼ哲学です。昔の自分は今の自分よりも頭の回転が速かったんじゃないかと思うくらい難しい事を考えて文字に変換していました。
その感情をプログラムできるか、という部分は最近のChatGPTのようなAIのおかげでかなり現実的になってきました。
人間の反応はある程度パターン化されているので、そのパターンを学習させれば、感情があるかのようにふるまう事ができます。そのパターン学習の量が、写真の画素数と同じ扱いになります。画素数が高ければ高いほど、より自然な感情らしきものを表現できるようになります。人工知能の出現によって、人間の感情とは他者からの観測によって生まれるものだという事がはっきりわかるようになりました。
でも学習と予測によって人間的なふるまいをしようとするロボットにとって、一番困るのは人間の気分です。同じ事をしても機嫌のいい日と悪い日では反応を変えてくるのが人間です。そうしたランダムに発生するトラブルに対して、家庭用汎用型ロボットはうまく対処しないといけないので、どういう風にそのトラブルを処理すればいいのか、とか考えていました。今後もこの問題は人工知能にとって大きな障害になるのではないかと思います。というか、人間でもこれにうまく対応できる人はほとんどいません。
人間とロボットの違いは、全然分からないけど、あいまいだけど、その部分を許す、という範囲がどのくらい広いかにあると思います。
予測可能な状態、たとえば恋愛ゲームのようなごく限られた選択肢の中で動くというようなことは、現実ではあまりありません。
仮定の上に仮定をつみあげていく力が、人口知能よりも人間のほうがはるかに上だと思います。しかも人間の場合、その仮定が土台から間違ってても「仕方ないか」で済ませてしまうおおらかさがあります。こういうところは人工知能にはまだ難しいのではないかと思います。
なんかクラッシュしそうです。
あと昔を振り返ってみて、自分が感情プログラムと体を動かすプログラムを全く別のものとして考えていたのも面白いなと思いました。
だからただ仕事をこなすだけのロボット(第一頭脳のみ)と、感情プログラム(第二頭脳)を持っているロボットの二種類がいる設定でした。第二頭脳は取り外しが可能です。
ロボットは人間のために生まれた存在です。だから、時と場合によって感情を持っていたほうがいい場合と、まったく感情をもっていないほうがいい場合の二種類がいるのです。
こういう事をいろいろ考えているのは私にとって楽しい時間です。何の役にも立たないとしても、そういう思考実験が自分にとって楽しいし価値があるのです。でも、思考実験には暇と安定が必要です。ギリシャの時代から、暇こそが知的活動を前進させてきました。でも、私は現在心を亡くす多忙状態にあり、こうした事を考えられずにいます。生きるのは苦である、とは仏陀でしたか。
でも最近の人口知能の進歩がすごいので、こんな事をいろいろと思い出していました。
もし暇な人生がやってきたら、こういう誰の役にも立たない事をずっと考えて、翻訳のために物語化するという作業をまたしたいと思います。
そんな日がくればいいな、と塀の中から外を眺める囚人の気持ちでいます。
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