今こそ読むべき「武士道解題 李登輝」~台湾民主化の父による、原著よりも優れた本

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こんにちは、蒼生です。

先日、武士道解題。李登輝著 を読み終わりました。

今回はこの名著を解説するために、久しぶりに気合の入った長文を書きます。

 

 

李登輝という人物について

①ミスターデモクラシー

まず李登輝という人物について紹介します。

李登輝氏は台湾の総統を務めた人物で、台湾ではミスターデモクラシー(民主先生。先生はさんの意味)ともよばれ非常に尊敬されています。

李登輝氏はそれまでの権威主義的な体制から今に続く民主的な体制へと転換させた人物です。しかもその手法がきわめて見事で、平和的かつ非常になめらかな体制転換だったという事で奇跡とも称されています。通常であればこれほど大きな体制転換はミャンマーしかり、天安門事件しかりで、流血事件がおきますし、なかなかうまくいかないものです。

でもそれを平和的に、しかもその総統任期中に行い、氏が総統をやめてその後政権交代がおこっても変わる事のない安定した民主体制を作りました。これについては、李登輝氏自身がリー・クワンユー(シンガポール建国の父。哲人政治家としても有名)との違いとして強調されたことがあります。シンガポールはリー・クワンユーという非常に優れた人物の能力に依存しているが(シンガポールは独裁体制なのでトップの人間の器に大きく左右される体制)台湾は李登輝がいなくなっても民主国家台湾であり続けるという事です。

実際今は李登輝氏が率いた国民党ではなく、民主進歩党の蔡英文氏が総統です。李登輝氏が作ったシステムは政党が変わっても揺らぐことなく、それどころか、民主レベルは当時よりもむしろ進化しており中国の圧力にさらされながらも屈することなく、より民主的な国としてさらに繁栄しています。

②22歳までは日本人だった

李登輝氏についての説明を読んで皆、この疑問が浮かんだのではないかと思います。

何故台湾の元総統が武士道という日本の伝統的な価値観についての本を書いているのか、と。

それは李登輝氏が日本統治時代の台湾に生まれ、氏自身が言う通り「22歳までは日本人だった」からです。

そのため武士道解題は、翻訳ではなく李登輝氏自身が慣れ親しんだ日本語で書かれています。

この本を読むとその格式高い日本語と教養レベルに現代に生きる日本人は必ずといっていいほど圧倒されます。(巻末に田原総一朗氏の文章がのっていますが、田原氏も圧倒されたようです)

李登輝氏は京都帝国大学、今でいう京大にまですすんだ、日本帝国時代のスーパーエリートです。当時は中学校に進むだけでも珍しかったので大学に行った氏はよほど優秀な方だったのだろうと推察します。

余談ですが、海軍だった祖父が自分は朝鮮人も台湾人も同じ日本人だと思っていた。と昔言っていたのが李登輝氏の学歴を見て個人の見解ではなく国としてそうだったのだと理解できました。台湾は帝国日本がかつて統治していたことは事実です。でも、その統治は他のヨーロッパの植民地政策とは少し異なるように見えます。

賛否は別にして、日本が台湾を日本国内と同レベルの衛生的で文化的な地域にしようと長期間にわたって巨額のお金を投じたのは事実です。その巨額の費用に関しては幸徳秋水が批判するほど、異例の金額でした。しかも出身地域で差別することなく、台湾出身でも優秀で向学心のある人間は国立大学にいれて同じように教育するというのは、ヨーロッパの植民地政策とは一見違うように思います。しかし何をしたとしても、受け取る側が迷惑ならそれは恩の押し売りですから、日本側としてはこれ以上は言えません。

ですが、李登輝氏が高齢になっても日本を愛し続け、総統になったときに教科書を改訂して日本統治時代への記述を修正した事実を見ると、必ずしも恩の押し売りではなかったのではないかと思います。(そして台湾が今これほど親日なのは間違いなく李登輝氏のおかげです)

とはいえ、この一例だけをもって、帝国時代の行為をすべて正当化するような立場に私はありません。実際リー・クワンユーは進軍してきた日本軍によってひどい目にあっています。今の日本と帝国日本は法的に明らかに違う国で、大多数の国民のメンタル的にもほぼほぼ違う国です。

だから歴史は歴史として感情をできるだけ排除して、客観的に見れるようにすべきだとも思っています。

(台湾統治にしても、初期は現地民による反乱が頻発し武力鎮圧も行っている。台湾で日本的なやり方を押し付けようとしたためだと分析した後藤新平が台湾人の文化風土にあった統治に転換すべきという意見を表明し、その方針転換によって落ち着いていく。でも日本の統治が素晴らしかったと単純には言えないはずなので「犬(日本)が去って豚(中国から来た国民党)が来た」という表現とその背後にある感情が一番事実に近いのではないかと思う)

原著 武士道 新渡戸稲造 について

正直に言うと、新渡戸稲造の「武士道」は昔かなりイライラしながら読んだ記憶があります。まったく共感できなかったからです。

新渡戸稲造が「武士道」を書いたのは、日本が宗教教育をしないのはなぜかと外国人によく質問されたたからのようです。外国における宗教教育とは道徳教育の側面もあるため、宗教教育をしない日本は道徳教育をしないという風に見えるので不思議がられたようです。そして道徳教育をしない=道徳がない野蛮な国なのではないかというあらぬ誤解を防ぐために、宗教にかわる道徳として武士道を語っているのがこの本です。

そのため、原著「武士道」にはあらゆる場面で牽強付会な部分があります。

日本人のメンタリティは、神道×仏教×儒教で成り立っています。歴史的には神道が一番古く、その次に仏教で、徳川家康が統治をしやすくするために儒教を積極的にとりいれた経緯があるので儒教的価値観は一番あとです。

新渡戸稲造は武士階級の生まれです。武士といえば士農工商の一番上に来る特権階級です。そのため儒教的な価値観が「武士道」の随所にあらわれ、しかも色々な例をだしてそれを正当化するのはごく自然なことです。

しかし、儒教的な価値観を持たない自分にはこれが耐えられませんでした。非常にイライラするのです。

儒教はヒエラルキーによって社会秩序を作ろうとするものなので、道徳というよりもマキャベリの君主論とかと同じカテゴリーで扱うべきものだと思っています。ですが儒教が君主論よりも優れているのは、支配する立場の者と支配されるべき者両方のあるべき姿、心構えについて語っているところです。そのため支配されるべき立場に対して、あるべき像(奴隷根性とあえて言います)を道徳の形式で教え込むことができるので、教育がうまくいくと上に立つ者は非常に楽ができます。だから中国では長年にわたって儒教が支持され、皇帝も儒教にのっとった支配を行おうとしてきました。そして儒教にのっとった治世を仁徳のある支配だといって賞賛します。(現代では中国共産党が中国的な教育の一環として世界中に孔子学院とかも作っているので、今でも儒教は有効なうえ支配者にとってとても使い勝手がいいもののようです。でも最近スパイとかプロパガンダの疑いがあるとして閉鎖する国もでてきているようです)

日本では徳川家康が実力主義で下剋上が当たり前だった流動的な戦国の世を終わらせて、自分がトップとして君臨する堅固なヒエラルキーを作りだして、それよって安定化した社会を実現したいと願い儒教を積極的に取り入れました。その結果江戸時代は300年も続きます。

徳川家康が、三代目世継ぎとして、頭がよく周囲からも期待されていた弟国松ではなく、病弱吃音で周囲からも期待されていなかった兄竹千代(家光)を大事にして、家督をあえて兄につがせたのは戦国的な実力主義の価値観から儒教的なヒエラルキーによる安定を目指し、臣下たちにもそれを理解させようとしたからです。(儒教の害。年上は問答無用で偉いっていう謎の価値観は今も残っている。壊れかけている若年層搾取システムの年功序列とかもそう)

子は親に仕え、女は男に仕え、臣下は君主に仕えるという上下関係とヒエラルキーが儒教が目指す安定社会であり、道徳という奴隷教育を施された側はそのヒエラルキーに反発せず非常に従順になるのでとても支配しやすくなります。

儒教がもたらす害悪は私が今更指摘するまでもなく、墨子や福沢諭吉も指摘するところです。

(尚、徳川幕府300年の中で今に続く弱者にやさしくとか、上に立つ者の品格とかいう今でいう武士道的なメンタリティが作られはじめたのは犬将軍・綱吉の時代からだと言われている。それまでは戦国を引きずって頻繁に抜刀沙汰をおこしていた暴力的な武士階級が武家諸法度の改正によって引き締めにあい、さらに生類憐みの令で武士も民衆も弱者にやさしくなり、病人やいらない子供を道端に捨てたりしなくなったとされる。つまり儒教が日本人的な武士道の精神性を作ったわけではないということ)

儒教はヒエラルキーによる社会の安定を願うので、個人主義とは非常に相性が悪い思想です。日本はまだ儒教的価値観が根強く残っているので個人主義を目の敵にする人もいるくらいです。(個人主義を西洋の価値観だとみなし、教育勅語的な儒教的価値観を復活させようと願う一派もいるくらいです。でも、日本の歴史全体で見れば神道×仏教の方が儒教よりはるかに長い間日本人のメンタリティを支え形作ってきました。そのため儒教的なものが日本的だというのは逆に間違った価値観だと思いますし、世界的潮流にも逆らう時代錯誤な考え方だと思います)

新渡戸稲造の武士道の主目的は、日本は道徳がない国ではない。と西洋に対して一生懸命アピールすることなので、とにかく必死さがにじみ出ています。

かつての日本的なアイデンティティを明治維新で突然喪失して、その後西洋と同列になろうとがんばっていた明治期の人特有のメンタリティがあらわれています。武士道以外にもその時代、日本的なものを世界にアピールしようとがんばってる系のものは他にもあります。そういう時代だったんだと思います。

でもそのメンタリティを全く持っていない現代に生きる私は、ここでもその必死さに共感できません。

とにかく必死すぎて上滑りしているのです。

武士道について知りたいなら、葉隠とか五輪の書とかの方がよほど武士道の精神を語っていてオススメです。これらの著者は生涯現役の武士だったので「武士道とは死ぬこととみつけたり(葉隠)」に代表されるように、死生観が全く違いますし、常に深淵を見ていた人でなければ出てこない言葉が刻まれています。

原著 武士道とは違う、李登輝の武士道解題

新渡戸稲造の武士道についてさんざん悪く書きましたが、李登輝氏は新渡戸稲造の武士道を大絶賛しています。だから武士道解題という本まで書いて自分の考えを詳述しています。

李登輝氏の武士道解題が原著武士道よりも面白いのは、李登輝氏の経験や思想が解説という形で沢山書かれているからです。

そこには、氏のあまりに深い教養と知性が随所にあらわれています。

しかも氏は新渡戸稲造とはスタンスが若干違います。

氏は権威主義を嫌っているので、儒教的な上下をあまり肯定しません。また神道については分からないと書いています。

そのため、武士道について語っているようで、実は李登輝氏の倫理観や人生観やそれをふまえた経験について語っている本になっているのが武士道解題です。

国のトップとなり、中国という強大な隣国と相対し、政治体制を平和裏に劇的に変えた人物の思想というのは、やはり特別なものがあります。

これほどの知性と教養をもった人物は、帝国時代の日本にも滅多にいなかったのではないかと思う位です。

(いわんや現代をや)

人が残せるものは4つある 内村鑑三

内村鑑三は、「後世への最大遺物」という本の中で人は四種類の価値あるものを残すことができると言っています。(もとは講演)

1.金 2.事業 3.思想

でもこれらは誰にでも残せるものではありません。これらを残すためには才能や地位やその他の特別なものが必要かもしれないし、場合によってはデメリットもあるということが書かれています。

だから内村は、金も事業も思想も残せないが、それでも誰にでも残せて価値のあるものはなんだろうか。と問い最後に

4,勇ましくて高尚な人の一生 をあげます。

「では最大遺物とは何でしょうか。 後世に誰でも遺せて、有益で害にならないものは、勇ましくて高尚な人の一生です。 これが本当の遺物ではないかと思います。」

李登輝氏の武士道解題には、本人はまったく意図していないであろう部分にそうしたものがあらわれています。

そして李登輝氏のような政治家は、これらに加えて「仕組み」を残すことができるのだと分かります。

民主化は言うまでもない、李登輝氏の最大の業績ですが、本書の中では氏がかつての台湾社会にはびこっていた膨大な不正やわいろを防ぐためにデジタル化を推進してそれらの社会悪を撲滅したことや、次世代の台湾人をつくるために特に教育を重視したことが語られています。

以前私は台湾にはすごい音楽家がいる!ということを別の記事で書いたのですが、

それが李登輝氏の政策の結果だったかもしれないことを知って驚きました。

私が台湾で非常に成功したのは、音楽の教育でした。いま音楽の分野では、台湾からいろんな天才がでてきて、世界各国で大活躍しています。小学校から中学校、それから高等学校、大学には一貫した「音楽教育」を施すための特別コースやクラスをつくり、才能のある生徒ならだれでも分け隔てなく外国に留学できるような道も開きました。いまでも、スカラーシップ(奨学金)を受けてニューヨークのジュリアード音楽院などにいっている若者がたくさんいます。

天才は偶然あらわれるものではないようです。

天性の才能があっても、それを早い段階から育てる十分な環境がなければ才能の芽は大成しません。良い種があっても岩の上では根を張れないのと同じことです。

多くの歴史的天才は家庭環境に恵まれて、早期教育をうけてその才能を開花させています。でも天才はどこに生まれるか分かりません。だから、生まれによらずその才能を伸ばすことができるよう環境を整えることで、伸ばせなかった才能が開花し、将来的に大きな成果を生み、社会がより豊かになっていくのではないかと思います。

(帝国時代は頭がいい人はだいたい留学したり、国費で勉強させてもらえるイメージがある。杉原千畝氏もお金がなくて早稲田を中退したあと外務省に入って国のお金で勉強をつづけている。その結果ソ連を恐れさせる外交官にまでなり、ソ連に赴任できず代わりにリトアニアに赴任して、ナチスに追われるユダヤ人を救うことになる。人への投資が一番大きなリターンがあるという例は枚挙にいとまがない。帝国時代は薄く広くは投資はしていないが、優秀な人間には集中的に投資している。

昔は傾斜型の投資しかできなかったかもしれないが、今はデジタル化がすすんでいるので、大衆には個別最適化した低コストな学習システムを提供し、特に優秀な人間には飛び級は勿論、デジタル化であまった教育予算を留学や研究といった部分に予算をつけて才能を十分にのばしてあげればいいと思う。それなら一律教育とは違う個別の才能をのばした多様性のある社会をつくれるのではないかと思う)

内村鑑三 後世への最大遺物 は日本人で日本語が読めるなら、必ず読みたい本。人生の初期に読めば読むほど大きな影響を与える力強い言葉と思想。左の佐藤優氏の「人生、何を成したかよりどう生きるか」は題名からも分かるように図が入っていたり氏の解説が入っていたりと、より一般読者向けに分かりやすく書かれている。KindleUnlimited会員なら無料で読める。

教養が教育から分離している現代日本 対、中核だと考える李登輝氏の違い

私が不思議なのは何故よりにもよって注力して成功したのが音楽なのか、という点です。

日本では注力さえしないであろう分野です。

何故なら日本では実学以外を軽んじる傾向があるからです。政治面でも文系よりも理系を重視してお金をだすように政治決定がなされるくらいです。音楽や美術といった方面は、多くの人にとって役にたたないと思われていますし、実際実学ほどの目に見える効果(お金)は生み出せません。

だから限りある資源を選択的に注ぐために真っ先に捨てられるのがこの分野です。

(2020年のコロナではどの業界よりも先んじて切られ、困窮する業界には一般人の多くから罵声があびせられる事態となった。芸能分野は日本では仕事というより趣味だと思われているらしく、平素いかにその業界が市民の精神を豊かにしGDPに貢献していたとしても、仕事ではないので貧しくなるのは自業自得だという論理らしい。そのため芸能分野の人々が正当な補償を求めたり、政権に抗議したりすると、仕事もしていないのに厚かましいとか趣味で生きているのに税金で保障を求めるなど許せない、と盗人を見るような感覚をもち、軽蔑と憎悪が人々の間に広く巻き起こる事態になる)

日本でも最近アートを重視しようと、戦略的な面から主張する政治家もいますが、李登輝氏はそうではないように見えます。

日本で最近はやりの戦略的にアートを使おうとする政策は、毎度見事に失敗しています。クールジャパン戦略がうまくいっていないのは、推進している人達がそもそもアートに興味がなくて、教養も浅くて、理解も浅いからだと思っているのですが、

李登輝氏の場合、圧倒されるレベルの教養を武士道解題の中で披露しています。しかしそれは表面的なインテリが披歴する教養ではなく、血肉になった教養なので言葉の質がまったく違います。

李登輝氏の教養は、教養人として着飾るためではなく、思考を深めて人生と向き合うための手段だったようです。だから知識を超えて、知性にまで練られているのだと思います。

その練られた知性をもとに、教育を重視しようという決定も、日本の政治家の教育を重視しようというレベルとは数段違います。

日本の教育を重視しようという意見は、落ちこぼれを作らないとか、生きていく上で困らない、親の所得格差で子供が影響を受けないようにしよう、というレベルの議論です。

これももちろん大切なのですが、古今東西の古典、哲学書を読破し血肉にしている李登輝氏のものと比べると非常に表面的な視点で教育を議論しているように感じてしまいます。

李登輝氏は教育に多様性を重視し、そのために飛び級を肯定しています。

そして餅は餅屋へという例えをだしてその子が一番能力を発揮できる分野にすすませ、偏差値ではなく個々の能力を重視すべきだと書いています。

おそらく日本の政治家の議論と数段レベルが違うと感じるのは

日本の政治家の「教育を重視しよう」という意見はマクロ視点だけの意見(もしくはミクロだけ)で、だから子供を「社会をつくる駒として育てるときに何が最適解かという議論」だからだと思います。

李登輝氏はマクロとミクロが混然一体となっています。子供にとって何が幸せか、という視点と社会として、また国としてどうあればみんな幸福だろうかという視点が全て入っているのです。多階層的に考えて、すべてを統合した結論なので、レベルが数段違うと感じるのです。

そして李登輝氏が重視した教育政策の中で、もっとも成功した音楽教育は、将来台湾をその分野において重要な地位に押し上げるのではないかと思っています。

このとおり、政治家は普通の人が四つしか残せないところに加えて、もう一つ特別なものを残すことができます。

それはその仕組みを作った本人の名前が忘れられても、成果を残しつづけ、後世の人々をより豊かにしていきます。

(そして逆パターンもあるという恐怖を我々は知っている…)

李登輝氏の武士道とは

葉隠や五輪の書は哲学書や戦略書のような本です。彼らが武士として実際どのように生きたかが書かれています。

武士道は聖書のように成文化されていないので、これが武士道というような統一見解はありません。(この点でも聖書と同列に扱おうとする新渡戸稲造の必死さには無理がある)そのため一人一人が自分と向き合って、道理に照らして「自分はこのようにあるべきだ」と決めてその通りに生きようとしたときにいわゆる武士道的な生き方が生まれるのだと思います。それはとても再現性が低い上に個人の倫理観に大きく依存したものなので、後世にまで語り継がれる優れた武士もいれば、切り捨て御免と通行人を切り捨てていった武士もたくさんいたのだと思います。

李登輝氏の武士道解題は李登輝氏の人生観であり、氏が考える武士道やリーダー論になっています。

本書ではよく「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」という言葉が頻繁に出てきます。

李登輝氏自身、政治家になるつもりなどなかったらしく、それでも政治家になる機会を得た以上は台湾のために働こうときめ

「義を見てせざるは勇なきなり」という信条のもと、自分にとってではなく、国民党(李登輝氏がかつて率いた与党)にとってでもなく

台湾人民にとって最も良い方法を模索しつづけたことが本書の中では書かれています。

台湾は周知のとおり、非常に難しい立場にある国です。すぐそばにある大国中国は台湾を自国の領土だと主張し、圧力をかけつづけています。

そんな国のリーダーになるのは間違いなく大変なことですし、なればなったで、国民の生命と財産を守るという大きな責任を背負うことになります。

李登輝氏が繰り返す「義」は公義という意味で、だから「義を見てせざるは勇なきなり」はより重い意味になります。

「義」というのは、「武士道」を考えていく上でも最も重要な観念の一つであり、決して「個人」や「私」的なレベルに閉じ込めておくべきことではなく、必ず「公」のレベルにまで高く引き上げて受け止めていかねばなりません。

すなわち、「義」というものは、もっと広い意味の「公義」という形でとらえられるべきであり、その段階にまでもっていかねばほとんど意味をなさない、と私は確信しているのです。

原著武士道の中では、武士の徳目の一つに忠義が数えられています。かつての武士は主君へ絶対的な忠義を示しましたが、そうした関係性が消失した現代、李登輝氏はその忠義を国家や国民に向けていたようです。

氏は総統時代数々の困難を乗り越え、「一人なのだ。たった一人なのだ。誰も助けてはくれない。生きるも死ぬも、自分一人で立っていかなければならないのだ」という境地にたどりつき、数々の業績をのこしました。

 

そして後をついだ若き新総統(氏とは別の政党)に対して氏はこうした温かい思いを寄せています。

陳水扁総統もまだ若いから、なかなかこの境地に達するのには難しいところがあるかもしれません。しかし、何事も経験だから、場数さえ踏めばもっと素晴らしいリーダーシップを発揮してくれるに違いありません。

いろいろな困難にぶつかっているうちに、こうなるとこうなるのだと次第に手に取るようにわかってくるから、そこで真の「心の平静」が得られるようになるのです。

これはリーダー論であり、人生論であり、

後世への最大遺物である 勇ましくて高尚な人の一生 が書かれている本です。

興味を持たれた方はぜひご一読ください。いや、一読といわず何度も読める本です。

 

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マクマスター 戦場としての世界

李登輝氏が一生涯直面した巨大な隣人、中国について。

中国は台湾を自国の領土だと昔から主張していて、最近過激なパフォーマンスをよくやっているので、アメリカの国防に深く携わっていた人はどう考えてるのか知りたいと思っていたところ、偶然マクマスター将軍のインタビューと本の紹介を見て、勉強のためにも読んでみた本。

国防って難しいね…という本。文章自体は読みやすいので興味のある人にはお勧め。

日本も昔は帝国ロシアにスパイ送り込んで革命運動を焚きつけたりしてたんで、今もそういうのが全世界的に行われてるんだってことを思い知った。今はSNSがあるのでより巧妙で分かりにくくなっているという特徴があるらしい。

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