炎上商法なのか「みいちゃんと山田さん」作者と編集部の倫理観

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「みいちゃんと山田さん」がアニメ化するらしく、反対運動が起こっています。

私は読んだことがなかったので、それは表現の自由に基づいてどうだろうと思っていました。

でも障碍者を笑いものにする作者の過去の言動や、講談社編集部の倫理観のなさ、作品の断片スクショを見て、これは違う意味で相当やばいなと思いました。少なくともこの作品は、地上波で誰でも見れるような状態は避けるべきだと思います。

OVA等にして買った人しか見れないようにすべきだと思いました。

作品の断片だけ見ても、これは社会派という真摯さとは違う、すさまじい毒を感じました。

社会派漫画かと思ったら、障碍者差別ポルノで、作者と編集部もそれを面白がっている節があります。

おそらくそれで多くの当事者が声を上げているのだと思います。

人の不幸をエンタメ消費して楽しむ編集部

講談社編集部がそろいもそろって、漫画の悪役みたいなこと言ってって、人間の本性は生来悪であるという性悪説を思い出させてくれます。

障碍者が不幸になっていくのが面白いって、どういう感覚なんだろう、と思いました。(そもそも他人の不幸と自分の状態は通常結び付かない)

自分より下の人間を見ると、一部の人は安心するらしいのですが、それなのかもしれません。

社会をヒエラルキー的に理解する人は自分の位置を意識して、障碍者のような最初から不利な人々を自分より下位に置くことで、自分より下がいるという強い安堵をえるようなのです。

また、共感能力の欠如も疑われます。

子供の頃、ハリウッドの残虐なエンタメ殺戮映画を好んで見てる人を見て、この人は何が面白くてこんなものを好んで消費するのだろうと不思議に思っていました。

自分は殺戮場面で痛みを感じるのですが、おそらくあれを楽しむ人はその痛みを感じないから楽しめるのです。主人公がハンティングのように殺戮し血しぶきがあがる様子を、スポーツ観戦のように手をたたいて楽しそうに見てました。

ミラーニューロンというものが共感能力をつかさどっているのですが、おそらくそれがうまく機能していないのだと思います。

代わりに残虐なシーンを見ることで、ドーパミンが出るので、それを出すためにより残虐なものを好んで消費しているのだと思います。この編集部の人達も、同じようにミラーニューロンが機能していないように見えます。

いじめっ子は、人をいたぶることが快感になります。自分より弱い存在がいたぶられるのを見るとドーパミンが出て、もっとその残虐な様子を見たくなるそうです。もっともっとひどい目にあわせて、弱い存在が泣きわめくのを見たい、というおぞましい衝動について講談社編集部が言語化してくれました。

作品には作者の人間性がにじみでる

藤子F不二雄が、ドラえもんで同じ名前の子供がいじめられないようにあえて変な名前をつけたのとは真逆で、この漫画の作者自身が「みいちゃん」を差別的に使ってて、意図してるんだと驚きました。

今まさにアニメ化で危惧されている事は、作者公認の使用方法のようです。

 

社会派小説は昔からたくさんあります。でも難しい題材であるが故に、作者はその問題について真摯に向き合い、自分なりに深く考えて、どうすればこの不幸は救われるのだろうか、と考え抜きます。それが作中に表れ、読者にも同じような問題意識が芽生えます。私は、それを目的にするが故に社会派の扱いにくいテーマを作者は作品の根幹にするのだと思っていたのですが、売れやすいから選ぶという人がいることにまず驚きました。

社会派作品は、作者の倫理観、哲学、人間性が深く問われるジャンルです。

もっとも真摯さが求められるジャンルかもしれません。

世界中で愛されるレ・ミゼラブルや椿姫はあらゆる角度からその問題を問う事で、難しい問題を多くの人が真剣に考えて内面化するきっかけになります。

でも、作者自身が売れる題材として選んだことをあかしたり、障碍者のみじめな様子をあえてグッズにしてるのを見ると、…やばすぎる、という感想しか出てきません。

倫理観の底が抜けています。

炎上商法だとしたら大成功だと思います。

私は作品を読んでませんが、断片的に流れてくる過激な場面を見ただけで、これは社会派作品ではなく、障碍者の不幸を楽しむためのポルノだと感じました。

当事者が反対するのは当然だと思います。

悪役みたいなことを平気で言う講談社編集部の趣味嗜好が反映されたのかもしれませんが、地上波アニメで子供に見せていい種類の作品ではないと思います。

ゾーニングが必要です。OVAとかにすべきだと思います

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