美人とイケメンには二種類いる

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こんにちは、蒼生です。

今日は頭を使わなくてもいい、割とどうでもいい話をしようと思います。

美人とイケメンが評価される根本的理由

みんな美人とイケメンにあこがれるそうです。逆にそれを過大評価してしまう人たちによってつくられたルッキズムも時々問題になります。昨今ではルッキズムを助長させるとして、大学のミスコンが中止になるのだそうです。それはルッキズムを批判しているようで実は同じ穴のムジナなのではないかと思います。見たくないなら見なければいいのに、単なるヒガミに負けた健全ではない人達のヒステリックな行動に見えます。(他人の自由を奪う自由はないはずなのに、何を根拠にそんなことをするのか私には理解できません)

まず、見た目がこれほど評価されるのには理由があります。

醜さに理由はないけれど、美しさには必ず理由があります。音楽でも絵画でもそうです。

人間がなぜ他人の顔にこれほど注意を払うのか、というと顔には多くの情報が集約されているからです。一般的にいう美しい顔、顔面偏差値というものが何を表しているかというと、遺伝子のバランスの良さや健康状態や老化の状態です。男性の場合は知能の高さとも相関があるようです。(ずば抜けて高IQだと見た目との相関はなくなるが、ほどほどレベルだと頭良さそう=実際頭がいいという結果がでている。女性は見た目とIQの相関はなかった)これほどプライベートで重要な事が露出しているのだから、誰もが顔に注意を向けるのはごく自然な事だと思います。

ルッキズム批判をする人達はこの理由を知らないから、意味もなく怒っているのではないかと思うのです。

美人とイケメンには2種類いる

最近になって気づいたのですが、美人とイケメンには2種類いるという事です。

一つは天然の美人イケメンです。彼らは生まれた時から見た目がいいので、その価値をあまり自覚していません。子供のころから見た目の事を他人からよく言われるので、なんとなく自分は見た目が良いことを知っていますが、それを使ってどうこうしようという事はありません。場合によっては生まれつきの美貌を隠そうとする人も多くいます。見た目がいいと意味もなくねたまれたり、誰だよお前という相手から突然好意を寄せられたりする危険があるからです。

もう一つは美人イケメンに擬態している人です。これは後天的に美人やイケメンになった人達です。彼らは美貌を武器だと解釈しています。見た目に強い価値を見出しているので、メイクや服装や整形等で懸命に美しくなろうとします。だからなのか分かりませんが、投資回収に一生懸命です。

自分は時々、「その見た目なら苦労したことないでしょ」と言われることがあります。「苦労しかしたことしかないよ!」と毎度腹が立つのですが、見た目がいいと苦労しないという思い込みを持っている人が一定数いるようなのです。

話を聞いてみると、見た目がいい人はその美貌を使ってうまく他人を利用し、場合によっては養分にして生きる事が可能だから、そういう事を言うのだそうです。他人を利用し、中にはATMにすることに一切の罪悪感を持たない腐った人達は確かにいます。でもそれは自分の容貌を武器だと理解している人に限られます。自分の少ない経験値の中では、そういう人達は天然の美貌を持った人達ではなく、後天的努力によって美を獲得した人達が圧倒的に多いです。自分の見た目に多額のお金と時間とエネルギーをつぎ込んでいるのだから、その容姿に圧倒的自信をもち、利用したいと思うのは自然な感情なのではないかと思います。

誰だって磨いた剣は振り回したくなるものです。

美人イケメンは性格が悪いと勘違いしている人達は、美に擬態している人達に遭遇して被害を被った人達なのかもしれません。

天然の美人イケメンは簡単に見分けられる

有名モデルの私服が超ダサい、という話を聞いた事がないでしょうか。モデルになるような人達は天然の美人イケメンばかりです。美に擬態している人達はすぐにバレて落とされてしまうからです。

彼らは仕事ではプロがメイクや服を選んで見事に美しくしますが、私生活ではそういう人達がいないのでいつも通りになります。

彼らは元がいいので何を着てもさまになります。しかも元が美しいので、そこからさらにメイクや服で美しくすると、「誰だよお前」という人達にガン見されたり好意を寄せられたりするので、良すぎる見た目とダサい服でバランスをとっていたりします。女性の場合は特に、ナンパや告白という迷惑行為から身をまもるためにもあえて見た目を悪くしている場合があります。

でもどれだけ服装をダサくしても元がいいので、すぐにわかります。天然の美女イケメンは必要もないのに、自分を飾りません。飾ることで失われる自由があることを知っているからです。

 

これと逆なのが、美に擬態している人達です。私服が華美であったり、ハイブランドを好んで身にまとう人達がこれです。努力して獲得した美しさを他人に認めてもらうために、さらに服装とメイクで美しくしようとしています。エクスカリバーにダイヤモンドコーティングをしようとしているレベルです。

そこまで重武装して何がしたいのか分かりませんが、美しさを武器だと考えている人達はどんな時も見た目をよくすることに余念がありません。

本当に努力家だと思います。

見た目を重視する側

天然の美人イケメンがその見た目をあえて隠そうとするのも、美に擬態している美人イケメンが懸命に努力するのも、他人の見た目を過大に評価する人達が存在するからです。

彼らは自分はさておき、他人の見た目に辛辣です。今まで見てきた中で言うと、見た目を重要視するのは、すべからく見た目が悪い人達でした。見た目が悪いほど辛辣なのです。鏡を渡したくなるほどです。

コンプレックスなのか、それとも自分に欠けているものを他人で埋めたいと思っているのか分かりませんが、確かにそうなのです。見た目がいい人達はそもそも他人の外見に無頓着です。割とどうでもいいと思っています。生まれつきなのだから、そんなこと批評しても意味がないと思っています。

見た目に重きを置くのはその人のコンプレックスの裏返しなのだろうと思います。そして、容姿がどのような理由で決まるかわかっていれば、現実問題として、この話は今後も絶対になくならないし、そこまで気にする意味はあるのかと改めて思います。

彼らは隣の芝生は超絶青い、という世界観で生きているので、ずっとコンプレックスを抱えて自分と他人を見続ける事になります。

美人イケメンは言うほどモテない

本当の美人はモテない、という話を聞いたことがないでしょうか。美しすぎると、外見コンプレックスを持っている人達は緊張してしまいます。しかも勝手な妄想で、どうせモテるからとか決まった人がいるから自分なんか相手にされないと思い込んでしまいます。あとは美に擬態した人達の悪いイメージをかぶせてきたりします。

美しすぎる人は男女共に、その容貌で、まったく悪気なく、知らないうちに、相手を威圧してしまいます。威圧というか、勝手に相手が見た目を理由に緊張して自尊心を下げてまともに対応できなくなってしまっているだけなんですが、そういう事が起こります。

近寄りがたい存在になってしまいます。いわゆる高嶺の花です。それは遠くから愛でるものであって、わざわざ取りに行こうとする人はめったにいません。

男性は自分と同じか、自分よりも下の安心できる相手や手に入りやすい相手を選ぶ傾向があるので、恋愛市場でもベルカーブが成立します。(例外的に虚栄心を満たすためにトロフィーワイフを求める人がいるが、少数派)女性の場合は自分よりも優れた人物を好むので男性よりもベルカーブの中央は右側になる。

つまり、一番もてるのは普通の顔の人だという事です。これはルッキズム批判をする人達にとっても朗報ではないでしょうか。普通の人がメイクや服装で努力したくらいが一番ちょうどよく、もてるのなら、特別見た目がいい人達を目の敵にしなくてもいいのではないでしょうか。

人は自分に似たものを好みます。親しみやすい顔とはそのような顔です。つまり美醜両極端ではない普通の顔の事です。ベルカーブの中央あたりです。

ルッキズムを批判する人達が批判しているのは、本当は他人の見た目を評価する文化ではなく、自分を認めない社会の方だと思うので、このことがわかれば、どうでもいいじゃん。生まれつきなんだから、と思えるのではないかと思います。

また、人が好むのは見た目だけではありません。

性格の良さや知性や趣味嗜好であったり評価項目は様々です。見た目だけで人を好きになれるのはサルくらいだと思います。サルにもてたところで何が嬉しいのか、自問したら空しくなると思います。

だからもっといろんな角度から見て、自分と違うものを認められる社会になればいいのではないでしょうか。

本当に割とどうでもいいことを書きました。

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