むごい教育とは何か。今川義元と乃木希典

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真にむごい教育

こんにちは、蒼生です。

小学生の頃、何かの本を読んでこんな話がのっていたのを記憶しています。

ある武将が人質をもらって育てる事になった。その武将はその人質をダメ人間にしたかったので、人質なのになんでも欲しいものは与え、わがままを許し、何不自由のない生活をさせて、人として弱くなるように育てていたという。

私はこの話が面白かったので妹に話しました。妹はそれが何を意味するのか分かったらしく、そうやって不自由のない生活は人を根本的にダメにするのかと納得していました。

2023年は徳川家康の大河ドラマが放映されました。(一回も見てないけど)

家康は人生の前半で大変な苦労をしてきた苦労人です。彼の幼名は「竹千代」です。竹千代は今川義元のもとに人質として出されます。

そして今川義元は竹千代にむごい教育をしろと教育係に命令します。その意味を誤解した教育係は最初、竹千代に厳しく武芸のけいこをしたり様々な理不尽を味わわせていたそうです。でもそれを知った今川義元は激怒して、そうじゃない!と「むごい教育」とは何かを説明します。厳しいけいこをしたら、心身が強くなってしまいます。人質になった先で理不尽な扱いをされたら、臥薪嘗胆、いつかその恨みを晴らそうと頭を働かせてしまいます。そういう事を一切しなくてもいいように甘やかして育てろと指示をしたそうです。

そして今川義元の真意を悟った教育係は、その後竹千代に何不自由ない生活をさせることにします。

今川義元は、竹千代が将来自分のライバルになる事を恐れていました。

ライバルになるには、明晰な判断力やリーダーシップや不屈の精神をそなえている必要があります。だから幼いうちからその芽をつむために、すべてを一方的に与えて、思考力や判断力がなくても全く困らない状態にし、自分のわがままがすべて通る環境で何の苦労もさせずに育て、人として自立できないようにしました。そういう環境で育ってしまうと人はダメになります。少しイヤな事があっただけで挫け、自分からは能動的に何もできない、弱い人間になってしまいます。

ダメな人には誰もついてきません。とくに竹千代が生きた時代は戦国時代なので、ダメな武将はすぐに配下に見限られてしまう時代です。

竹千代の今川義元のもとでの何不自由のない人質生活は、織田信長によって終焉を迎えます。

もし竹千代が大人になるまで、今川式の「むごい教育」を受けていたら歴史はどうなっていたのでしょうか。

徳川家康はたくさんの苦労を味わって育ったせいで、とても忍耐強い性格になりました。秀吉によって、三河の土地を奪われて見知らぬ関東の未開の地を与えられても決して腐らずに、そこでも忍耐力を発揮してゼロから街作りをはじめ、ついには江戸という大都市をつくってしまいます。

そしてむやみに争わず、思慮深く、敵の裏をかいて、最後には天下をとるに至ります。

徳川家康の強さは、その忍耐強さと強い敵とは衝突せずに慎重に欺いていく狡猾さにあります。そういう強さは、不自由のないわがままな生活をしていたら決して身につかなかったのではないかと思います。

乃木希典式 教育

乃木希典は昭和天皇(当時皇太子)の教育係についたときに「貧しい事は恥ずかしい事ではありません」といって、服が破れたらつぎはぎをして着るように言い、雨の日も徒歩で通学をさせました。

皇太子ともあろう人物にぼろを着せて、一般市民と同じように徒歩で通学させるなど、過保護な人が見たらこれこそ「むごい教育」だと思ったことでしょう。でも乃木希典は将来天皇になるべき少年が、人として思いやりと思慮深さをもった人物になるように、そのような教育をしました。当時の日本は貧富の差も大きく、国全体が貧しくまだまだ発展途上でした。そのような国でトップに立つ人物は、決して豪華絢爛な生活をしてはいけません。フランス革命のように打倒されてしまいます。人の上に立つ人は、大多数の国民の生活に心を寄せる必要があります。

昭和天皇も乃木希典の真意を理解していました。その結果、昭和天皇は大人になっても清貧エピソードが多く、服が破れると新しいのを買うのではなくつぎはぎをしてくれと頼み、戦後しばらくは湿気の多い地下御文庫(防空壕として使われていた)で生活をつづけ、御所の再建案が浮上した時はできるだけ簡素にしてお金をかけないように要望しました。(仁徳天皇の、貧しい民を救うために6年も免税政策をしてその間雨漏りのする御所に住んでいたという逸話に似ている)

人々の上に立つと、思いやりを失いそうになります。特に贅沢な暮らしをしていると、人々の生活がまったくわからなくなります。マリー・アントワネットのパンがなければお菓子を食べればいいじゃない、というネタみたいな事を平気で言ってしまうようになります。

(最近もガソリン代高騰に国民は慣れろと発言して炎上した政治家がいました)

乃木希典は日露戦争で勝利したあと、敵将ステッセルの誇りを傷つけないように配慮したり、敗戦の責任をステッセルに押し付けようとするロシア政府に彼の助命嘆願をしたりしました。乃木は武士道精神や他者への思いやりを強く持っていた人物でした。

そんな彼が将来天皇になる少年に願ったのは、立派な君主になる事でした。

立派な君主になるためには、弱く貧しい大多数の国民のことを忘れず、おもいやることができる人物でなければならず、そのために「貧しい事は恥ずかしい事ではありません」と教えたのです。

昭和天皇は後年、影響を受けた人物として乃木希典をあげたほどです。

昭和天皇の聡明さを示す例として、2.26事件後の対応があります。臣下が事件を起こした青年らの言い分を読み上げて理解を求めようとすると激怒し、すぐに鎮圧を指示して国状の安定をはかります。テロリストに同情する臣下と、その狼狽ぶりを叱責して即座に対処する昭和天皇の落差がすごいです。(本来は臣下が対応しなければならなかったことなのに)

さらにその翌日には財務大臣をよんで株価がどうなったか諮問しています。

今でもクーデターや暴動があった国は、その国の通貨や株価が暴落し、人々の生活が青息吐息になります。それをあの混乱のさなか、人々の生活が2.26事件の余波で混乱していないか即座に気遣うあたり、テロリストに同情した臣下とは違い、昭和天皇の冷静さと視野の広さに驚きます。

昭和天皇は立憲君主制を目指して強く自身を律していましたが、(基本政府が決めた事を聞いて了承するだけの立場)

この2.26事件鎮圧と終戦のご聖断の時だけはその一線を越えざるを得なかったようです。時代にほんろうされつづけた昭和天皇ですが、もし昭和天皇ほど自身を律する天皇でなければ一体どうなっていただろうか、と思います。

教育の目的と役割分担

今川義元は何不自由のない生活によって、竹千代から生きる力を奪おうとしました。

乃木希典は、清貧と厳しい教育によって昭和天皇を将来の君主として恥ずかしくない、思いやりのある人物に育てようとしました。

教育は単に知識を与えるものではありません。

今川義元も乃木希典も、教育によってその人物の土台に影響を与えようとしました。

現在の義務教育の目的は、読み書き計算等の基礎的な学習と知識の習得にあります。そのため人格の陶治は目的にはなっていません。

時々問題になる子供相手に犯罪行為をする教師の存在や、深刻ないじめがあっても放置する状態になっているのは、

教育の目的が迷子になっているからかもしれません。

かつては立派な教師がたくさんいて、子供たちはその教師に感化されて育ち、大人になったあと日本や台湾で学んだ生徒らがみんなでかつての恩師を訪ねるということがよくあったそうです。でも今はそういう話はあまり聞きません。私が知らないだけかもしれませんが。

かつての日本で、どうやってそんな徳の高い教師を育てていたのか知りませんが、今の学校教育で人格の育成は無理だと思います。

教育には様々な側面があり、知的能力、運動能力、人格の陶治、社会的な能力等様々な生きる力の育成を求められます。最近はプログラムや金融教育まで教育しなければならなくなっているそうです。

これを一人の教師が行うには荷が重すぎます。

普通の反復学習は、専門の教師もしくはAIのような効率化したもので可能になるかもしれません。

人格形成にかかわる部分はAIでは無理なので、(AIにはまず善悪を教えないといけないので)教師の仕事をある程度減らして人にしかできない部分に集中させた方がいいのではないかと思います。

でも今の教師制度で人格形成のような難しい事がきちんとできるかと言ったら、それもまた微妙です。一度も学校という閉鎖空間から出た事がない人が自分より知的にも体格的にも幼い人間を教えるとなると、多くの誘惑と限界があります。

人によってはその差を利用して犯罪行為までする人が後を絶ちません。そういえば教師どうしでいじめをして問題になったこともありましたね…。

一回社会に出てもまれて、何か教えられる立場になった人がもう一度高い志をもって学校に戻ってきたほうが、人生の師として何かを教えられるのではないかと思います。そしてそういう人物が、様々な専門教科を十分に教えられないというのなら、それこそテクノロジーを使って補佐すればいいのではないかと思います。

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