ベーシックインカムについて①

BLOG考え方

ベーシックインカムとは

 2020年、コロナが全世界を襲い、世界中で経済が突然停止した。

 多くの企業は突然のことに対応できず、やむなく解雇を行ったり最悪倒産する所も出てきた。デジタル化が叫ばれる今になっても経済の大部分は人の往来で成り立っていることがわかった。しかしコロナという未知の疫病のせいで、人々の往来と行動の自由は制限され、それに伴い多くの業種が影響を受けて経済活動を縮小せざるをえなくなった。

 そして健康で働く意欲もある人々が大量に失職してしまうという、通常では考えられない事態になった

 この危機的事態を打開すべく全世界で注目され始めたのがベーシックインカム、最低所得保証制度だ。ベーシックインカム自体はコロナ以前から注目されていた。実際、スイスでは国民投票が行われ、フィンランドでは効果を実験していた。その検討レベルがコロナによって一段あがったのだ。

 具体的に言うと、イギリスのジョンソン首相がベーシックインカムについて言及したり、ドイツやスペインでも限定的なベーシックインカムが実施されはじめた。スペインの場合は低所得層に限定しているので、ベーシックインカムというよりも生活保護のような貧困層向けのセーフティネットに近い。それよりも日本で全国民に無差別に配られた十万円の定額給付金の方がベーシックインカムに近いという事ができるかもしれない。

所得で分けると審査と手続きの手間・コストが増えるという問題がある。そのためスペインでは2022年から無差別に配る実験を行いはじめ、効果を調べている。結果は2025年に分かるようだ。

 日本でもベーシックインカムを公約に掲げる党がいくつか出てきており、非常に注目されている。

 ベーシックインカムは、無条件に誰でも毎月最低限のお金をもらえるという制度のことだ。今の日本でこの特権を得ているのは年金受給年齢に達した人たちだけで、二十代や三十代はもちろんもらえない。しかしベーシックインカムでは0歳児から99歳の高齢者まで等しくお金をもらえるようになる。

 夢のような話に聞こえる。

 しかしなぜこのような制度がまじめに議論されているかといえば、将来ほとんどの人は働かなくても良くなると予想されているからだ。原因はテクノロジーの発達だ。日進月歩の勢いでテクノロジーが進化しており、昔は数十人位雇わなければいけなかった仕事が今や一人二人の管理者だけでまわるようになった。世界的大企業Amazonなどは完全に無人で回るようにしようとしている。

 ここで従来の労働の観念からすると、あまりにも厳しい問いを自分自身につきつけなければならなくなる。

 今ある仕事の多くはAIに置き換わるかもしれない。自分はその競争に勝てる側の人間か?と。

 これにYESと答えられない人は将来仕事がなくなる可能性がある。実際今ある仕事の半分はテクノロジーの進歩によって近い将来淘汰されると言われている。それは弁護士や税理士といった昔は一握りの人々しかなれなかった知的な仕事でさえも例外なく淘汰されていくのだ。

 レジ打ちの仕事はすでにセルフレジに置き換わってきている。トラックやタクシーの仕事も近い将来自動運転に置き換わるだろうと言われている。

 今Uber eatsやAmazonの配達の仕事があっても将来24時間文句も言わずに配達し続ける機械に人間は勝てなくなる。

 かといってテクノロジーを操れる人はわずかだ。なぜなら今までの産業革命と違い、学習コストが圧倒的に高いからだ。若い世代ならまだ高い学習コストを払ってでも適応しようとがんばれるかもしれない。しかし年齢が上がるに従ってそれができない人達が増えてくる。

 そうなるとテクノロジーとの競争に多くの人間は負けざるをえなくなる。今のままでは、多くの健康でやる気もある人間が仕事を失い路上にあふれることになるかもしれない。それはちょうどコロナで起きたような事態だ。

だがこれは、従来の労働観の中で予測される事態だ。

 テクノロジーを生み、進化させてきたのは他ならぬ人間であり、それは間違いなく人類の進歩に大きな貢献をする存在だ。

 それをかつての資本家対労働者のような対決に安易に引きさげて問題をこじらせるのは間違っている。テクノロジーと人間は主従の関係にあり、こうした問題を起こしてはならない。だから、この予測される事態に対して人間はあらかじめ十分に検討を加え、今から対応できるようにしようとしている。

 そのために今、ベーシックインカムの議論が各国でなされているのだ。(ベーシックインカムの思想は500年前のトマス・モアにさかのぼるとされる。そして近年ではルドガー・ブレグマンによって議論が活発化しはじめた。天才の仕事は凡人が考えられるような問いを生み出すことにある。と言われる。問いがあれば多くの人が知恵をしぼって解決策を考えて議論することができるからだ。そしてその集合知によって当初想定されていた最悪の事態を回避してベターな方法を選ぶことができるようになる。今ベーシックインカムは問いがだされている段階だ。だから議論がすすめばきっと今想定されているような事態はきっと回避されると思っている)

 ベーシックインカムの議論でいつも問題になるのは財源と勤労意欲の問題だ。スイスでの国民投票の際は勤労意欲が削がれるという理由から否決された。スイスでは最初月2500フラン(約30万円)もの手厚い支給をしようとして、財源規律の問題とぶつかって否決された。でもまた国民投票にかけるために署名活動をしているらしい。

スイス程の手厚い支給はさすがに不要だという意見が多い。ベーシックインカム賛成派の多くは、生活できる最低ラインの支給額で十分だと主張している。それが日本の場合は7万円だとされる。このラインが、勤労意欲を削がずに、ベーシックインカムのメリットを最大限に引き出せるラインだとされる。

 他国の実験ではベーシックインカムによって、当初心配されていた勤労意欲の減退はおこらなかったらしい。それどころかむしろ経済的な不安がなくなる事でより良い仕事につこうとする人々が現れたことがわかっている。

貧困状態にある人々は、そうではない人々にくらべて選択肢が著しくせばまっている。だから今日の生活を支えるために今よりも良い選択ができなくなっている。これは心底嫌なのに生活のためにブラック企業から離れられない人達にも同じことが言える。

 財源の問題はいつも問題になるが、これは経済や政治の専門家が各々数字と向き合って解決する問題だ。

 ここではただ、ベーシックインカムを導入した際の可能性について考えていきたい。

Amazon kindle 以前ベーシックインカムについて書いた物のまとめ

ベーシックインカムの可能性

文化をはぐくむ余力

 本当に働かなくてもよくなったら人はどうなるのか。その例をギリシャとローマに見ることができる。

 当時はテクノロジーのかわりに奴隷を使っていた。だから特定の人々は生活のために働かなくてもいい状態にあり、そのせいでギリシャでは哲学や文学が発達したとも言われている。

 人間は暇を持て余すと文化を発達させるらしい。というのは各国の歴史を見ても明らかだ。現在海外からも注目されている日本文化の歌舞伎や浮世絵などは大衆文化として誕生し発展してきた。つまり人々の心と財布にかなりの余裕がなければこれらは今のような形では残らなかったかもしれないという事だ。文化的なものは仮に生まれたとしても、はぐくむ経済的余裕が社会になければ、途中で息の根を止めてしまう。

 歴史を見て明らかなのは経済的、精神的に豊かでなければ人々は文化的なものを楽しめないし、だからこそ文化が豊かな国は本当に豊かな国だと言える。それを一部の特権階級が庇護するか、大衆が育てるかの違いはあるが、それでも貧しい状態では文化は決して育たない。育てる側でさえそうなのだ。作る側はさらに社会情勢や環境に左右される。

 知的労働をする人々は、金銭や時間に制限や不安がある不自由な状態ではなかなか優れたものを生産できない。思考や能力に強い制限がかかってしまうからだ。だから、将来を大きく変えるような立派なことよりも今日の金、今日のメシになってしまう。これは芸術方面に限らず、科学技術方面にも同じことが言える。

 つまり文化とはその社会の豊かさの最終成果とでも言うべきもので、貧しくなれば真っ先に萎んでいくほど脆弱なものだということでもある。

富の移転による格差

 日本は今歴史的な円安と不況に襲われている。そして物価は上がるのに給料は上がらないスタグフレーションの状態になりつつある。いわゆる悪い円安だ。物価が上がるのはロシアのウクライナ侵攻やアメリカの金利上昇が原因だったとしても、日本がずっと不景気な理由にはならない。

 日本が不景気なのは経済活動が少ない高齢者が多く、反対に活発に経済活動をする若い世代が極端に少ない人口動態のせいだ。この問題を金融政策で解決できるわけがない。その無理をして時限爆弾が爆発したのが今の円安だと思っている。人口問題という1番の原因を放っておくと将来どうなるのか、もう何十年も前から警告され、最悪の事態が予見されてきた。それでも日本政府は一番の問題から逃げ続けた。結果、今のようなのっぴきならない事態になっている。

 子供が産まれてから働いて納税しはじめる年齢になるまではやくても二十年位かかる。それをいきなり解決することはできない。だから何十年も前から少子化問題が叫ばれてきたが、何もしなかった。そのせいで、あとはもう移民を入れるか、テクノロジーで生産性を爆上げするかどちらかの選択肢しかなくなっている。

日本はずっと何もしなかった事で、何もできなくなってきている。これは最悪の状態だ。毎年選択肢が一つ二つ減ってきているようなものだ。

 それでも、今の日本は移民は嫌だ、でもテクノロジーで生産性を上げるのもダルい、規制がいっぱいあるから。という自縄自縛の状態にある。かといって若い世代から高齢者への富の移転が行われる年金制度はもう止められない、子育て層がどんなに貧しくても票にならないのでそこにお金はつけられない、というどうしようもない状態にある。(とはいえ、いくつかの問題は政治決定ができる問題でもある)

 日本人の平均年齢はすでに48.4歳らしい。もうすぐ50代だ。

 五十歳をすぎると家や車などの高いものを買う人はほとんど居なくなる。自分の人生をよりよくするための学習や美容や環境などへの自己投資をする人も少なくなる。それまでの人生でほとんど消費し終えているので欲しいものなんてほとんどなくなるし、むしろ老後の備えをしようとして消費を抑制し貯蓄するようになる。

 けれど今の日本では若い世代から高齢世代へ仕送りする仕組みができあがっているので活発に経済活動をする世代は仕送りのせいでいつもお金がなくて、活発に消費をしない高齢層に富が移動するようになっている。

 日本の長引く不況は様々な規制以外に、若い世代から高齢世代への仕送り制度による活発な消費層から消極的消費層への富の移転が一つの原因ではないかと思っている。

 

ワーキングプアは社会の損失

 けれどベーシックインカム制度では年齢で切り分けずにお金を配る事になる。まず利益を受けるのはワーキングプア層だ。

 彼らは生活のためにひたすら頑張って働いているが、少ない給料と重い税金のせいで転職のための学習もできない。そのせいで不本意ながらずっと給料の安い仕事に就くことになる。安い給料では貯蓄もままならないし、結婚もできない。

 知的にも肉体的にも活発に動ける世代の多くが今このような状態にある。そしてあまりにも自分のために使えるお金が少ないので結婚も諦めている。そして結婚できても子供を産み育てる経済的な余力がない。

 ワーキングプアが多いというのは社会的損失だ。先のギリシャ・ローマの例にもどるが、さまざまな余裕は知的活動を活発化させて文化を発達させる。

 考えてもみてほしい。

 ソクラテスやプラトンやアリストテレスがもし生活に追われていたら、彼らはその偉大な知能を人類や社会のために使う機会を今日の生活費や光熱費に当てる労働のために失うことになる。

 人類の損失は計り知れない。けれど今の時代ソクラテスのような人が、働いても働いても豊かになれず、行き着く先がコンビニバイトやUberの配達員や安い賃金しかもらえない労働しかなかったというようなことは十分考えられる。(ソクラテスのように目上の人間に喧嘩を売りまくる人だと行き着く先が低賃金労働というのは十分にあり得る)

 彼らがもし最低所得保障により、経済的時間的に余裕を得られるようになれば、その知能を使う余裕が生まれる。そして知的成果物は社会や経済に特大のインパクトを与える。

子供がいる家庭ほど豊かになる

 次に利益があるのは家族だ。ベーシックインカムでは働くことができない子供にもお金を配ることになるので子供が多い家庭はその人数分お金を支給される。例えば労働意欲を削がずに、経済的不安を取り除くのに十分な金額としては月七万円が妥当だとよく言われている。それが人数分支給されたときの家計のインパクトは相当なものだ。

 五人家族だと月35万円ももらえる。今の若い世代はお金がなくて結婚できない、お金がなくて子供を産めないので、ベーシックインカムでその原因が取り除かれれば少子化問題が一気に改善する可能性がある。

 また、仕事のために無理して都市部に住む必要がないので住居費や物価の安い地方への移住も進むと言われている。

自殺の抑止

 若い世代の自殺もベーシックインカムによって防げる可能性がある。

 日本は経済が悪化すると自殺者が増える。これは生活保護の条件が厳しい事やイメージが悪く落伍者の烙印を押されてバッシングされる等様々な理由により、捕捉率が2割程度しかない事が原因とされる。つまり生活保護はセーフティネットとして機能していないのだ。

 高齢者であればコロナで突然不景気になっても若い世代からの仕送り制度で毎月少なからず年金収入があるが、肝心の若い世代は生活保護の申請が受からなければ、もしくはそれに申請しなければどこからも支援を受けられない。

 コロナ禍で多くの人が突然仕事を失った。特にサービス業が壊滅的打撃を受けたせいでそれに従事していた人々が大量失職した。そういうサービス業には女性が多く就業していたこともあり、女性の自殺率が急上昇した。

 しかしベーシックインカムがあれば、危機的な状況になる前から彼らを支える事になる。そのため、そうした人々の経済苦による自殺を未然に防ぐことができる。

行政の手間の削減

 ベーシックインカムは一律給付するので行政の手間が少なくなる。つまり生活保護の受給資格を調査する必要もなければ、年金手帳を記録する必要もない。特定の人々を対象とした給付にすればするほど手間がかかるからだ。

 そして現在起こっている世代間格差を比較的公平にする可能性がある。

この条件の人は救うが、この条件に満たない人は救わない。コロナで問題になったのは行政による国民の区別だった。年収や様々な条件をつけて救う、救わないを判断するのは一見合理的に見えるが、その条件を付ければつけるほど手間が増える。そしてその条件の数だけ時間とコストがかかる。だがそこにかかったコストは国民の側からすると、まったくのムダだ。だからこそ、ベーシックインカムの簡素さが行政の効率化という点からも注目されている。

つづく

ベーシックインカム②
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