新芸術論②:非常時こそ笑いが求められ、そこに芸術の目的がある

芸術カテゴリー

こんにちは蒼生です。2020-04-26

前回から少し間があいてしまいましたが今回は芸術の目的について少し考えてみようと思います。

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芸術の最終的な目的ってなんでしょうか。

芸術とかエンタメとかなんかもう言葉が色々あって混乱してしまいますが

(個人的にはエンタメという言葉は好きではありませんが、その言葉を好んで使う人もいます)

芸術・エンタメ。呼び方はなんでもいいんですがこれから話すのは

人が生きる上では全くそれを必要としないにもかかわらず、

何かしらの創作物(物質非物質問わず)によってその結果他人に影響を与えようとする活動を 芸術と定義します。

なので、話芸もどちらかといえばエンタメ分類されますが、今回は芸術の枠にいれてこれから話します。

  • 芸術の目的は体を養う事ではない
  • 芸術は「そこに在るもの」ではないのではないか?

芸術の目的は体を養う事ではない

絵でも音楽でも小説でも話芸でも何でもいいのですが、

それは人が生きる上では全く必要ではないにもかかわらず、その活動を通して何等かの価値を創造しようとしています。

たとえば話芸、芸人などが目指すのは、目の前の相手を笑わせる事です。

例えば戦時下や非常時でこういう笑いを求めることは不謹慎だと言う人があらわれます。近くでは3.11の時不謹慎勢がたくさんいました。

笑いが不謹慎だから禁じろ、やめろという考えはとても不思議なのですがそういう人もいます。

たぶん不安だったり悲しい人の気持ちに寄り添えって言いたいんでしょうが

まともに考えて

-1+-1=-2ですよね。

マイナス感情はプラスどころか掛け算になることの方が多いのは現在のコロナパニックが証明しています。なので本当に寄り添うなら、その苦しい感情の状態から逃れられるようにしてあげるのが本当の思いやりだと思っています。

だから不安がってる人には一切共感せずに話を逸らすのが誰でもできる一番の方法です。

 

芸人などは笑いによって感情をすり替える。

不安や悲しみにフォーカスしている人のカメラをさっと奪ってその焦点をずらす。

そして人の感情をコントロールし、笑いに変える。そのプロです。

笑いという非常時に不謹慎といわれるものを人工的に作り出して、それで生計を立てる人を芸人と呼びますが

彼らは一体どんな価値の創造を目指しているのでしょうか。

人が生きる上では全くそれを必要としないにもかかわらず、

何かしらの創作物(物質非物質問わず)によってその結果他人に影響を与えようとする活動を 芸術と定義。

する場合、芸人もその範疇に入ります。

彼らが目指すのは笑いです。

それは目の前の人達が、辛い現実から一瞬でも逃れられるような状態=リラックス状態

を人工的に作り出そうとする活動です。

笑いは強いストレス下でもリラックス状態を作りだします。

ストレス状態をリラックス状態に変える事を価値

として彼らはその方法をきわめてプロになっています。

観客はストレスからの解放を求めてそういう場に赴きます。

それは強いストレス状態からの解放を行いたいからです。

ストレスは健康体の人間すらも不調にかえてしまうほどの毒性があります。

なのでもしかすると、非常時こそ求められるものなのかもしれません。

芸術は「そこに在るもの」ではないのではないか?

いくら笑っても腹はふくれてくれませんが、笑いなどはやはり必要とされる非物質的価値です。

芸術のすべてはそうした価値を生み出す活動です。

その生み出している価値の種類はそれぞれですが、それによってメンタルに影響を与えようとする目的があります。

芸人や笑いの例を出したのは、それが一般的に芸術の範疇に入れられないものだからです。

むしろ侮られがちな分野だからです。

今回芸術の目的として笑いや芸人を出したこと自体に不満の人も居るかと思います。けれどそういう既成概念の芸術イメージが人々を阻害し、本来の姿を見失う原因であると思うから、芸術の本当の役目の例としてあえてそれを選んだのです。

私が戦っているのはそういう人々の中の既成イメージです。

 

とかく芸術というと権威的でどっかの誰かの有名人の作品をありがたがるもの、いかめしい顔をしてそれを良くわからないままにあの人が良いと言っているから右に倣って礼賛すること、とされがちですが

真の芸術が目指す効果というのは本当は上記のようなものです。

ただ精神的変化や価値はわかりにくいので物質的価値にしかフォーカスしていない、またはできない状態や人はそれが空気100g5000円みたいなものに見えてきて要らない!と言い始めるのだと思います。

彼らに悪気はなくて、単純に見えてないだけです。

 

この例でも分かるように芸術は必ずしも形あるものではないのではないでしょうか。

絵や彫刻はいかにも分かりやすいです。素晴らしい作品が目の前にあればこれは芸術だ!と誰もが言います。現状芸術とはそういうものだと捉えられています。

でもそういう時に言う「芸術」は技術や物にフォーカスして、本質を見失っている状態なのではないかと思います。 

まず、技術は人の心を動かしません。

また動かすことを目的としません。せいぜい感心させるものです。

(感動を生み出すためには技術もある程度必要かもしれませんが)そこに本質はない。

手段と目的をはき違えてはならないのです。

芸術の本質は心の動きの中にあります。

自分は絵を描いているので絵には価値がないことを知っています。

絵に価値があるのではなく、それを見た人の心の動きが、そこに価値を生みだすのです。

 

芸人がストレスからの解放として笑いを作りだすように、

すべての芸術はその受け手(鑑賞者)のカメラを操作して、本人がそれまで見えていなかったものを見せるためのものです。

ストレスとか悩みとかは、存在しないただの幻影だとよく言っているのですが、

それはカメラの焦点がそういうものに固定されていて、それから逃れられない人があたかも自分の陰におびえるような状態だという事を言っています。

ちょっとカメラの焦点をずらせばいいだけなんですよ。

他人が見ると本当に些細なことなんですが、

でも人によってはそれができない場合があります。自分の陰に本当におびえ切っていてどうしようもなくなっている。

 

そういう時にこそ芸術が求められます。

芸術の目的はそこにあります。

芸術はそれ自体では存在価値がありません。

ダヴィンチの最後の晩餐は素晴らしいでしょう。ベートーヴェンの交響曲は素晴らしいでしょう。でも鑑賞者がいなければ「それ、何の役に立つんですか?」

 

芸術作品は鑑賞者の心を左右することを目的としてそれに成功している作品であって、

技術的に素晴らしいものや誰かがありがたがっているものに限定するべきではないといいたいのです。

こういった心に変化をもたらすことを価値と位置付けて行われる活動が芸術活動であるとすれば

 

今やっているあの活動は芸術活動なのか?

自問してみてください。

 

ただ単に絵を描くだけ、音楽を作るだけ、本を書くだけ、話をするだけ、であれば

それは単に作業なり製作です。

 

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