貧者の立場になる、ラマダン

日記

貧者の立場になる、ラマダン

こんにちは、蒼生です。

ラマダンってご存知ですか?イスラム教徒は義務として、一定期間、日の出から日没まで一切の飲食をたって「断食」を行います。(断食・サウムっていうらしい)

なぜそういう習慣があるかというと、貧しく、水も食料もない人のことを思いやるためだそうです。

貧困というのは、経験したことのない人と、まさにその苦しみのさなかにある人では全くイメージが違います。

経験したことのない人には、全然分からない苦しみといってもいいものです。

だから恵まれた立場の人は平気で

「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」(マリー・アントワネットが言ったとか、そうでないとか)

というような残酷で意味不明なアドバイスをします。

ラマダンは、イスラム教徒なら裕福な者もそうでない者も皆、当たり前のように行います。

だから上記の言葉が非常に残酷で、価値がないアドバイスであることを身をもって知ることができます。

この前、ラマダンっていいよね…。と思うことがありました。

なんでラマダンの事を思い出したかというと、今コロナで経済的苦境に立たされている人が多いからです。

そして、あるインフルエンサーがコロナ禍で経済苦のただ中にあるシングルマザーへしたアドバイスが、まさに

「パンを食べられないならお菓子を食べたらいい」に似たとても残酷で意味のないアドバイスだったからです。

苦しんだことのない人に、他人の苦しみは一ミリも分からないんだ。と改めて感じました。

無意味で適当なアドバイスをするくらいなら、行政サービスの紹介でもしとけばいいのに、と思いました。

(自分は助ける気がないのなら、なおさらそうすべき)

これに限らず、苦しんだことのない人に、その苦しみは本当に分からない。というのは事実のようです。

著名人の様々なアドバイスや意見を今はネットで簡単に聞くことができます。

その度に、見ている世界が違う。といい意味で感じる事もありますし、悪い意味で感じることもありました。

これは仕方のないことです。それだけ、個々人は環境が異なり、恵まれた人というのは確かにいるからです。

経済的に裕福になってしまうと、特に分かりにくくなってしまうのかもしれません。

持っていると、分からなくなってしまうときがあるのです。

もちろん、私にもそういうところがあるかもしれません。

昔は何日も食べさせてもらえず、給食の残飯をもらったり恥をしのんで同級生にめぐんでもらうこともありました。

今はそんな事しなくてもいいのですから、私は「飢え」を忘れかけているのかもしれません。

(同級生に、なぜ食べさせてもらえないのか、と聞かれたことがありました。でもそれは、君がめぐまれていて、私がハズレくじをひいただけだという以外に理由がありません。同じ理由で、他人をうらやむ兄弟にいつも、あいつらは宝くじに当たっただけだ。そんな奴らを羨むな。といっていました)

宗教的な義務

昔住んでいたところにモスクがありました。ある日モスクの前に行列ができていて、

なんだろう。と思って列の先頭を見たらおそらくイスラム教徒のカレー屋さんがカレーとナンを配っていてその列だったという事がありました。

他にはキリスト教会が主催する、ホームレス支援も参加したことがあります。(私はクリスチャンではないが参加できた。昔個人的にホームレスの人と仲がよかったから参加したかった)

医師がテントをはって、医療を受けられない人達を無償で見ていました。

仏教徒と神道の主催による炊き出しは、私は残念ながら見たことがないのですが、やっているところもあるようです。

(寺と神社は数が多いのだから、もっとやってても良さそうなものだけど…)

多くの宗教では、そうした行為を「義務」としていますし、行う方も「徳をつむ」観点から積極的に行います。

その背景には、持てるものは(神より)与えられているのだから、

独占せず貧しい者にわけ与えるべき。という宗教観、道徳観、世界観があるからのようです。

自助・公助

日本では主に自助(または血縁内共助)が推奨されます。

逆に公助を求めるのを卑しいことと考える風潮があるようです。(生活保護叩きとか)

これはたぶん文化です。

昔海外にボランティアに行っていた人がテロリストにつかまって、報道と同時に「自己責任だ!」という声が国内から多数上がった時にそう思いました。本来それは英雄的行動で誇らしいもののはずでした。だからなぜ非難されるのか私には分かりませんでした。でも理由はともあれ、大変な目にあうのはいつも自己責任だそうです。(たぶん、日本人は日本人が思うほど客観的に見て優しい国民ではないと思います。身内には優しいだけ。あと寄付を偽善とか売名って呼ぶ人がいるのが理解できない。寄付をする側が「やらない善よりやる偽善」とか言って開き直らないといけないのは歪んでいる)

キリスト教圏では、貧しい者や困難に合う人を助けるのは当たり前なことになっているようです。それはたぶん聖書にも書かれているから。

(なぜ寄付するのか、も同じ理由。特にプロテスタントにとっては、仕事は召命なので一生懸命働く。でも贅沢しないのでそのお金をせっせと寄付するらしい。資本主義とプロテスタンティズム)

イスラム教でもそうですし、その困窮者の気持ちが分かるように全員ラマダンの間断食までします。(あの暑い地域で水も飲めないのは辛い)

日本は無宗教、無神論者が多いので、こういう文化がないのはある意味仕方のないことかもしれません。

ただ、自分も同じように無宗教ですが、教養として聖書やコーランを読んでいるのでその考え方や習慣を知っています。

また個人的にひどい目にあってきたので、そうした考え方には共感するものがあります。

昔、助けてほしかったときには誰も助けてはくれなかったから、たぶんそうするのです。

無宗教、無神論者でも、昔自分が大変な目にあったから、そうした人を減らしたいという気持ちからNPOを立ち上げる人もいます。

大変な目にあったことがある人のうち、一定数はそういうポジティブな復讐にエネルギーを転換します。(なぜそうなるのかは分からない)

だから、日本人の冷たさは、そういう価値観を知らないせいかもしれないとも思っているのです。

それを知れば他人を助けようと行動する人も増えるかもしれません。それは宗教的動機(徳をつむ)ではなくても、結果的に同じことをします。

彼らは、めぐまれた側よりも問題の所在をよく知っているので、効果的なアプローチができるはずです。

めぐまれた側で、苦労を知らないと、「パンがないならお菓子を食べればいい」というような事を言ってしまいます。

経済苦のシングルマザーに残酷なアドバイスをしたあるインフルエンサーのように。

 

だから結局、ほんとうに何かを変えられるのは、

最底辺から這い上がってくる人でなければならないようです。

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