新芸術論⑥ ビジネスマンと芸術家の根本的な違い

芸術カテゴリー

こんにちは、蒼生です。

ビジネスマンと芸術家では根本的に見ている世界が違うというのは昔からなんとなくわかってましたが、その理由がようやくわかりました。

昔から不思議で仕方なかったんです。

(ビジネスマンは)なんでこんなに大衆に媚びるんだろう。お客様は神様です、神の好むように自社や自分を演出します。そうしなければならないのでがんばります!

ビジネスマンの、全てマーケットインしなければいけない、という考え方を知るにつれ、なんで自分がこんなに、この態度にある種の違和感、つまり

「媚びている」という感覚を抱き、受け入れられないのかようやく分かりました。

芸術家は常に自分の中に答えがあります。大衆の顔色をうかがうという発想がそもそもありません。

逆にビジネスマンは常に市場(他人)の中に答えを見出そうとして、

それを良しとしているようです。

だから根本的に違うし問いに対する答え方も違うのだと思います。

それはその扱う商品の違いによる必然的な違いなのです。

ビジネスマンは市場調査をする

当たり前な話に聞こえるかもしれません。

ビジネスマンが何か製品を作る際は必ず市場調査をするそうです。

そして何が求められているか数値等で分析してやるかやらないか会議して決めていくそうです。

でも芸術家にその発想はありません。

ビジネスマンの側はこの態度が信じられないでしょうし、芸術家側はなんで市場分析してからじゃないと物を作れないのか、不思議なんです。

ゴッホが市場分析していたら、せめてもうすこし絵が売れたでしょう。

全然絵が売れず、耳を切り落としたり自殺したり、という悲劇は間違いなく起こらなかったでしょう。

ビジネスマンの側からすると「ゴッホはなんて馬鹿な事をしたんだ(苦笑)」というバカ話に聞こえるかもしれません。

でももしゴッホがマーケットインして絵を描いていたら、

その名前が末永く美術史に刻まれる事もありませんでした。

何故なら大衆に媚びたものは間違いなくその時代、その雰囲気の中でしか受け入れられないものなので、時代が変わればあっさりと滅び去っていくものだからです。

それは一昔前の家電製品のように一切顧みられなくなるものです。

家電製品がその時代ごとに受け入れられ、支持されるのは、実用品だからです。

ビジネスマンは顧客に対して実益があるものを提供するために市場調査をします

でも芸術作品には実益なんてものはありません。名画を何枚あつめてもダイソンの掃除機以下です。

だからこそマーケットインして売れようとした作品は一時的に売れて、気分の高揚のような実益めいたものを提供できたとしてもすぐに忘れ去られていくのです。

芸術家は市場に受け入れられるかなんて気にしない

マーケットイン:市場や購買者という買い手の立場に立って、買い手が必要とするものを提供していこうとすること

プロダクトアウト:提供側からの発想で商品開発・生産・販売といった活動を行うこと

芸術家の発想は完全にプロダクトアウトです。

だからゴッホのように生前は売れなかった(その個性が受け入れられなかった)が死後絶大な評価を受けるようになったということが起こるのです。

マーケットインの主体は顔の見えない大衆です

彼らはサービスを購入するので、もっとも強いように見えます。ビジネスマンにとっては彼らの要求は神の声のようです。

でも市場調査で出てきた答えは「平均化された答え」なので、何の個性もありません。他社も真似できるくらい平均化された答えなので、その要素を満たせばいくらでも替えがききます。(だから常に競争にさらされているのだと思います)

しかもその神の声を発した人々、力の根源も、せいぜい100年かそれ以下の間に全て死に絶えてしまいます。

だからアートの世界では昔からこの事をさして、大衆に媚びるな。といってきました。

アートの世界には大衆に媚びることほど悪いことはないという価値観があるので、だからビジネスマンとアーティストは水と油なのでしょう。

(ジョブズのように両方のいいとこどりができる人はまれです。思考が真逆だからです)

アートの世界で長年生きられるものは、大衆をむしろ啓蒙するような作品です。

芸術作品は常にteacherのような役割を目指し、担っています。

それは深さとかオリジナリティとか色々な表現をされますが、

圧倒的な個性で常にその魅力に共感する人々を引き寄せていきます。

だから何百年も作品を中心に新たな市場を常に開拓し続けているのです。

歴史的名画や名曲というものはまさにその成功事例です。

だから芸術家は今の大衆からご意見を聞くという発想がそもそもないのです。

たとえば生前から大きな尊敬を集めていたベートーヴェンですが彼の晩年は

自己満足とか神への感謝とか、そういう市場ガン無視状態で作ったものが沢山あります。(だから当時さんざんな言われ方をしていたようです。逆に市場調査して作った曲もあるけど・・・・・・ウェリントンの勝利って、みんな知ってる…?当時超がつく人気だったらしいんだけどさ)

交響曲第9番の四楽章「歓喜の歌」は、当時の人々は何がいいのか全然理解できなかったようです。楽器だけで演奏するはずの交響曲の最後で突然合唱曲がはじまるからです。もとは別々の交響曲だったようですが、色々あって一つになったようです。でもこの掟破りを当時理解できた人は決して多くありませんでした。天才作曲家の一人メンデルスゾーンも1~3楽章は本当に素晴らしいが4楽章は全く理解できないと言っています。

結局その後半世紀近くたって、これは名曲だと言い出す人々があらわれて(ワーグナーとかリスト)段々評価が上がってきて、

今では、EUの歌になったり、なぜか極東の島国で年末必ず演奏されるという国民的な曲になっています。

彼の後期の作品は今ではどれも大名曲とされていますが、当時はボロクソに言われ、後世評価されたものも少なくないようです。もし、ベートーヴェンがマーケットインして作り続けていたかと思うと、(私はそれが恐ろしくて仕方ないのですが)

これほどの傑作は一つも作れなかったはずです。

芸術家は競争なんてしない

電化製品は性能ではもはや差別化できません。同じような性能なら、皆当然のように安い方を選びます。そこに国産のメリットなんてありません。

だから日本のメーカーは中国系のスマホに適わないのだと思います。

ですが、Appleは違います。Appleのスマホは他と比べ明らかに高級品で、しかもその性能は中国系スマホと大差ないか負けている場合すらあるのに、みんな喜んで高級品のAppleを買い求めます。

芸術家は競争なんてしません。

そもそも芸術作品には最初から実益なんてものはないので、

価値がないものに価値を付加できるもの、つまり圧倒的な個性という

それだけで戦うからです。

レンブラントとダヴィンチとピカソとルノワール、

すべて個性が違います。

だからこそ全員が勝者になりました。

芸術の世界で同じという事はすなわち「死」であり、無論既出の方に軍配があがります。

「~に似ている」という表現を誉め言葉として一般の人は全く悪気なく、言う場合がありますが、高確率でクリエイターの逆鱗に触れるので言わないほうが無難です。怒らせたくない人は文化が違うので気を付けてください。

 

日本の近代美術のある一時期は、日本の伝統的な美を捨てて西洋的な美を必死に模倣する季節でした。

工業や政治思想やその他システムであれば模倣してもよかったのです。

それは模倣できるものだからです。

でも芸術作品は決して模倣してはならなかったと思います。

それはアイデンティティであって、模倣できるものではなかったからです。

結局日本的なものを革新する大観のような勢力が今も残り、日本的な美術をかなぐり捨てて西洋的になろうとした人々は忘れ去られていきました。

彼らは個性を捨てて、別の何かになろうとしたからです。

だから誰からも愛されなくなりました。

ブランディング

模倣が当たり前で、真似が当たり前なビジネスの世界でも、

ブランディングを真似るという話は聞いた事がありません。

そのブランディングを真似た瞬間「ミッキーのような何か」になってしまうのかもしれません。

アートとビジネスのクロスポイントがおそらくブランディングなのではないか、とそう思うようになりました。

  • 競争に疲れたビジネスマン
  • 全く顧客の顔色を窺いたくないアーティスト

その両者の望みをかなえられるのがブランディングなのではないかと思います。

Appleはブランディングで成功している企業の一つですが、

あの機能を他社が真似することはできても、Appleになることは不可能です。

仮にそういうものが出てきても、顧客はAppleのまがい物と判断して、ルイ・ヴィトンの偽物みたいな判断をしてきます。

ブランディングに成功した企業の製品はオリジナルにのみ力があり、その模倣品はいくらそっくりでも、オリジナルの価値を増大させるだけの存在になっていきます。

ルイ・ヴィトンの偽物はたくさんありますし、中にはそっくりで高品質なものもあるようです。でもこの時にブランドの力がはっきりします。

みんな安い偽物ではなく本物を買いに行くのです。

彼らはLVのマークが入ったカバンが欲しいのではなく、ルイ・ヴィトンが欲しいのです。

そして、偽物があればあるほど、本物の需要が高まっていきます

自分も商品?

マーケティング的な考え方で一番違和感があったのは

個人ブランディングの分野です。

数人の著者が市場を調査して、それにあわせて自分を演出してそれを演じ切ろうというようなことを書いていて、本当にこれは正しいのか?これが解なのか?

であればこれはなんのための答えなのか?と、とても強い疑問を覚えました。

(アイドルやテレビタレントはそうなのかもしれないけど)

ビジネスの世界では「自分も商品」にして、ここまで顧客という神のために

媚びなければならないのかと異世界レベルの違和感がありました。

(芸術の世界では顧客は神ではなくファンなのでその発想がない)

たぶんビジネスマンなら、全く違和感がない考え方なのだろうと思います。

ですが、逆方向からすると、自分の最大の価値を喪失して新たな価値(それを価値と呼ぶかは疑問ですが)を顧客という神のために作りましょうといっているようで、

本質的な価値を喪失することを推奨しているようにしか聞こえないのです。

たとえば、YESマンと呼ばれる人や、なんでも引き受けるいわゆるいいひとは、

周りの環境に対して自分を過度に適応させ、その市場に対し自分という商品を日常的に売り込んた結果(マーケットイン)、最終的に精神を病んだりしますが、それを推奨しているようにしか見えませんでした。

ビジネスの世界では全てが市場で(人間関係も市場)、それに自分を合わせるのが良いという考え方が一般的なのかもしれませんし、それでうまくいく人もいるのでしょう。

需要のある状況に対してある特定の望まれる振る舞いをするというのは、

簡単に効果を引き出せるのでいいのかもしれません。

でもそこまで割り切ってできる人間でなければ絶対にそれは出来ませんし、

やるべきでもありません。

それをすれば個人の財産を他人のために安売りする事に等しいからです。

個人ブランディングの特定の著者はマーケットインの考え方で

市場を第一に自分を「商品として売り込もう」という考え方ですが

ここは頑としてプロダクトアウトの考え方で臨むべきです。

高額商品のような扱いにするべきです。

傍若無人と言われたベートーヴェンだって、沢山の貴族の支援者を持っていたのは彼が自分を曲げなかったからです。(ゲーテ等は彼の無礼さを嫌いましたが、ありのままというのは同時に特定の人々から嫌われるということでもあります)

ブランディングの基本は一貫性で、人間は嘘をつきとおせないと言われている通り、

自分を演じても絶対に途中でほころびがでて、破綻します。

仮に突き通せたとしても代わりに精神が死にます。

(それが出来る人ならそれでかまわないと思いますが)

製品とは違い、自分は偽る事が出来ないからです。

芸術家がマーケットインすると

私には敬愛する音楽家が二人います。ベートーヴェンとリストです。

リスト、というとクラシックファンの一定数は顔をしかめます。彼らはリストに対して決していい感情を持っていません。

彼らのリストに対するイメージはマーケットインして大衆に媚びた芸術家像です。

この属性だけで、一般的芸術家および芸術作品愛好者たちは嫌いだと思うタイプでしょう。(そのくらい大衆に媚びることは悪という空気がある)

 

リストは奉仕者の気質が強すぎて、若いころは完全に大衆を喜ばせようとするパフォーマーになっていました。

天才は奉仕しなければならないという、彼独自の信念の表現方法が、

大衆を喜ばせることと、滅多に演奏されない名曲、たとえば交響曲をピアノに編曲して(ベートーヴェンの交響曲のピアノ版とか鬼難しい)その素晴らしさを広く大衆に知らせる事でした。

サロンで数人相手にピアノを演奏するのが一般的だった時代に

コンサートホールでピアノ独演という現代に通じるリサイタル方式を確立したのはリストでした。彼はヨーロッパ中で演奏して、その稼いだお金を様々な慈善事業に寄付するという事をやっていました。彼にとってはそれが天才の社会奉仕のあり方だったのでしょう。

彼は当時もっとも成功した芸術家の一人でしたが、彼自身は「芸術家としては」幸せではなかったようです。大衆に媚びても、一瞬喜ばせるだけでそれ以上のものは何もなく、彼の天才性にはあまりに不釣り合いな役でした。

結局成功の絶頂で引退し、ワイマールの宮廷学長になって静かに暮らすようになってから、彼の偉大な作品は作られていきます。

リストの音楽は哲学的すぎて間違いなく人を選ぶものです。(リストが嫌いな人は若いころのパフォーマー的作品と哲学的難解な作品をいっしょくたにして嫌いな人が多い。分かりやすすぎるのと全然分からないの両極端だから)

彼の傑作ロ短調ソナタは、ワーグナー絶賛。ハンスリック(当時の有力批評家)は酷評。という状態でしたし、今でもこの曲は本当に素晴らしいという派と、全く理解できない派との間で賛否が分かれる曲です。

(リストの曲は難易度が高すぎるのでピアニストのレベルのせいもある。

私はこの曲を聴いた瞬間、リストはとんでもない作曲家だと確信しました。演奏者はブレンデルでした)

それでも自分の天才性をいかすために大衆にではなく「芸術に奉仕する」という姿勢に変更することがなければこの曲は絶対に生まれなかったものです。

(彼の奉仕への熱心さは形を変えて後人の育成とか、若手作曲家の支援へと変わります。ベートーヴェンだったら問答無用で突き返すところを……リストは人格者すぎる)

芸術家がその芸術性を求め続けても、それはプロダクトアウトなのでその時代には受け入れられないかもしれません。大衆が理解できず、また求められないものを出しているのですから仕方ありません。

しかし本当にそれが優れたものであれば、それは必ず長い生命を持ちます。

競争からの脱却

なぜ芸術についてビジネスマンが学ぶようになったのか、それは別に絵を描きたいからとか音楽を作りたいからではなくて、その本質を理解したいからだと思います。

芸術がもたらす価値は沢山ありますが、

ビジネスマンにとって、もっとも簡単で有益なのは競争しない状況を作ることだと思います。

アーティストは限定的ブルーオーシャンを作って競争不要な世界で生きています。

その市場は仮にたとえ狭くても、競争のストレスにさらされずに済みます。

ストレスのない状況で企業理念にそった製品を作るだけで、顧客はさらにファンになっていきます。

AppleにはMicrosoftと違い熱烈なファンがたくさんいます。スティーブ・ジョブズを神のようにあがめるApple信者も沢山います。

私はあれを見て、まさにアーティストだと思っていました。

アーティストとファンの構造そのものです。

ファンは何があってもジョブズを信じてその製品を買い、その製品で驚かされると嬉しくなってさらにApple信者になっていくのです。

製品の機能では、もうなかなかイノベーションは起こせないようです。

であれば、答えは真逆の世界、つまり「芸術」の方にあるかもしれません。

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